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自分でできる事から考える。 [日記]

 

 予測不可能な変化の時代を迎えています。今まであった自然が今までと変わり、当たり前に思われていた人と人の関係とか生活がすさまじい変化をとげている、何がそういう変化をもたらしてきたのだろうと考えると、人間の太古から現代までの歴史の発展をみるとその到達点は当たりまえ、自然の理に適っているのだろうと思えてきます。

変えているのは主に人間でしょう。でもその自然の理が自然の破壊や人類の滅亡や勝者と敗者のさらなる加速化や分断に進むなら、それを進めている人間の生き方が望ましかったと言えるでしょうか。

 人の生き方はつねに二通りあると思います。また歴史も二つの力の戦いの歴史でもあったのではないかと思います。

 昨日たまたま、夫がジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを撃った男」というアメリカの開拓当時

の映画をつけていたので私も最後まで見てしまいました。歴史はどのように進んできたのかを考えさせられるような映画でした。

 予測不能のような将来をどういう生き方の選択をしながらしぶとく生きるか、自分で考えるしかありません。

 二、三日まえ羽鳥モーニングショウで「老化を遅らせる最新研究」老化についてをとりあげていました。

老けるのは嫌だとか長生きしたいとかあまり思わないのですが、命を粗末にしたくないとは思います。

数日前、ぎっくり腰で入院する羽目になりました。

50近くなって、これ以上仕事を続けることはできないと思って仕事をやめたとき、「病気は自分で治す』という本に出会って、気分はルンルン、新しい生活を意気軒昂はじめたのでしたが、勿論はじめの見通しのように一直線ではありません。一番生活設計がちがったのはバブルの崩壊後に続く経済の落ち込みや長い停滞と社会や生活の急速な変化です。

 「病気は自分で治す」ということも具体的になると簡単に答えがみつかるわけではありません。


 最近の細胞や分子の研究は一日一日のめざましい進歩で細胞の細かい仕組みや働きが解明され、病気の治療や健康の維持に大変役立っているようです。

 しかし治療は病気になったときの対症療法でなぜ病気になるのかの原因や予防にはまだ届いていない、不十分ということができるのでしょう。

 多くの人が苦しんでいる慢性疾患、ガン、膠原病、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎、腰痛、高血圧、さらに多くなっている精神疾患、生きにくさなどはなかなか治癒に至らないことが多いのが現状で、安保先生は「調節系」(「自律神経系」)や「生体防御系」(「白血球系」)などの体全体に及ぶシステムの破綻につながっている点に注目されています。

 巨大で巧妙なシステムが初めから破綻しているのではなく、破綻している理由が考えられる。それは人間の生き方が大きくかかわっているのではないかと安保先生は考えられています。

 人間は生命進化の過程で大きな能力を獲得してきたが、脳が進化し賢くなりすぎて、本来備わっている能力以上の無理な生き方を長年にわたって続けている、それが病気につながる。進化の過程で獲得した能力を充分に使わない生き方を選べば、その機能は衰えるばかり。運動不足や肥満の流れ、活力のない生き方などこちらに入る。

 能力の限界を超えてしまったり、逆に、機能を使わな過ぎてしまったりといった生き方が「自律神経系」や「白血球系」の正常な働きを阻害し病気につながると考えれば、生き方の偏りを修正する努力が必要という指摘をされています。この指摘は自分の生活を考えてみてわたしにはとても納得できることでした。

 患者自らが自分から病気を作っていることに気づき、それまでの生き方を変えることによって、現在までの医療の弱点と「患者責任」の考え方を学んでほしいと安保先生はいいます。病気は私たちの生き方や考え方をただすために現れた光明だとさえいえるというのはそうなのだなと思います。

 経済だけから人間を考える事はできない、経済も重要ですが、もっともっとトータルに人間を考えなければならないと思います。 

 自分にできること、したいことは努力することだけ。結果は個人の意思を超えたものです。考え努力をすることだけが生きることのように思います。

 三つのうち、一個くらいしかできなかったとしても頑張った結果ならそれで仕方がない、五つ位その日のうちにやりたいと朝決めたとして、一日が終わってみると三つくらいしかできていなかったとしたら? それでもやろうと思って努力した結果ならそれでOK。一つもできていなかったら、さてどうしましょうか。これではいやだ。明日はもっと頑張ろうと。頑張ろうと努力しないなら、わたしは生きる意味がないと思いますが、これでは緩い?

 いつの日か、体が動かないときがくるのかもしれません。その時のことはその時になってみないとわからないでしょうね。

 年齢や立場によって、考える事、考えなければならないことは違うでしょう。子どもたち、若者、働き盛りの人、きっと私のような老齢者にない立場で苦労の多い生活をし努力されているのだろうなと思います。

 

 最近目に留まった言葉から。


 生成する世界は「論理」をしのぐ。だからこそ論理的に断定するより先に、絡み合った現象のはざまでまずは真摯に問いかける事。

論理はビィジョンを後から根拠づけるにすぎない。       朝日新聞「折々の言葉」、ウイリアム・ジェイムス

 

 

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コメント 2

gonntan

>自分にできること、したいことは努力することだけ。結果は個人の意思を超えたものです。考え努力をすることだけが生きることのように思います。
そして人と繋がる!ですね (*^_^*)

by gonntan (2021-10-24 20:56) 

風船かずら

gonntan様、そうですね。一番、一番大切なことが抜けていました。

by 風船かずら (2021-10-24 22:46) 

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