SSブログ

どこまでも不確かなわたし  [雑感]

 

 つぶやき


  どこまでも不確かなわたし

  確かだということは今、私は生きているということだけ


  漠然とだが言葉にならなかった理想、どこかで理想というものを追いかけていたように思う

  これは嫌だ、NOという現実がなくなればいいなと思っていた

  暴力的支配(納得によらない支配)

  自分の利益のために相手の利益は無視して他者を利用する利己

  命の危機をともなうような貧困


  こんなことは嫌だから、こんなことが少なくなればいいと思ってきた

  それが社会と自分の進歩だと思ってきた


  それだけあれば十分だと思う

  あとはその人自身によるから

 

  私が生まれたころの社会はどういう社会だったか

  いつも命の存続が危機であるような貧困、暴力的支配、自分の本心を裏切り、仲間を裏切り、ときには個人的

  恨みもない他国の人を殺し、殺されたり、これが生きることなのかと嘆息するそんな時代だった


  世界はかわったのだろうか

  随分変わったように思う

  思い描いた理想に向かって進歩したのだろうか

  

  社会はどう変わったのだろうか

  世界の富の90パーセントがごく数パーセントの人の手にある

  一方で親を失い、子を失い、故郷をうしない、命をつなぐ食料も住まいもなく、孤独で安心もない人々

  なぜこのような激しい格差、命の違いが進むのだろうか


  絶望と怨嗟と哀しみと沈黙の渦巻く世界

  世界は変わったのだろうか

  進歩したのだろうか

  相変わらず変わっていないものがある


  私は絶望したくない

  これが人間の世界で現実で真理なのだなどとなぜあきらめなければならないのだろう

 

  私は信じているのだろうか、人間の進歩を

  ときに50パーセントになったり、0パーセントになったりする


  0パーセントになったときも絶望したくないと思っている


 

 

 

 

 



 

nice!(15)  コメント(5) 

たどり着いた地点は。 [日記]

 大型の低気圧が抜けた後の今日は朝から猛烈な暑さです。暑さに負けてなかなかやる気がでません。

庭もあれたまま、春先気まぐれに種をまいたり、苗を買ってきて植えたりして無事育った後は放りっぱなし。やっぱりそれだけのエネルギーをかけられず手入れがとどきません。植物だってこんな愛情不足の人のところに運ばれてきた不運をなげいているかもしれません。それでも健気に咲いている朝顔、気持ちを涼やかにしてくれます。


 八月.jpg    DSC_0332.jpg     


 DSC_0333.jpg

 人新生とは人類の活動が地質に刻まれた時代という意味で、いつからが人新生なのか。24年に予定される国際地質科学連合の連合理事会で作業部会が進めてきた調査に支持が集まれば正式に決定されるそうです。

 人間の歴史発展の結果が地球の限界に近付いているのか?そういう予感はさまざまなところで身近にかんじさせられています。生きることはエネルギーの消費で、そのなかで最も激しい過激な消費は戦争ではないかと思います。

何が、こうした過激なエネルギーの消費を進めるのでしょうか、人間も地球環境も変えてしまうほどにです。

 もっと静かな落ち着いた暮らしがしたい。自分の手足で命を確認できる生活が必要です。

 留まることを知らない成長願望、欲望の充足、それが人間の調和を破る時、破壊につながるのでしょうか。

 

 格差の増大の中で、子どもの世界でもその影響が大きいことに心が痛いです。

 もう年を取って何もできなくなりました、何かできる事は?

つながり、学びの環境、育ちの環境を公的機関市民いったいで総合的な対策が取られなければ、自分の力だけで生きられない子どもが救われません。子供、親、社会がつながって問題の解決に動こうとしている民間の活動、とても必要な活動だと思うので、少しでも生活費を抑えてできる寄付をしたいと思ったのですが、トラブルが。ネット上で行われる寄付、使われ方が不明確だったりひどい時は偽サイトだったりすることもわかりました。見極めが難しい世の中です。直接顔を合わせる関係でないネット環境では確認がむずかしいのを感じます。

  寄付の申請をしてもその確認が来ないとか、退会の仕方がはっきりしないなど、広告は毎日行われていて随分広告費が使われているのではと思いますが、世界的な団体のこともあります。うっかりできないと怖くなりました。

nice!(16)  コメント(2) 

健康について [雑感]

 健康はなんといっても基本、鍵ですね。

 70歳前後くらいから太りはじめ、太ると減量しにくくなって、当時はダンスをしていたので一番の困りごとでした。

自分的には肥満が嫌だったので、何とか痩せないかといろいろ研究していたのでしたが、十年くらいの間に適正かなと思っていたころから比べるとゆうに10キロ増、最近二年ほどの間の体重増は特にうなぎのぼりで体重増に比例して健康度も連動して落ちてきました。体が重く動けない、眠い、こむら返りやしびれがひどくなる、健康検査の数値もいくつか悪いものが。年齢だけではないと真剣に対策を考え始めました。

 朝食をやめて、飲み物だけにして二か月くらいで少しずつ減量しました。今では三キロくらい減りました。

 食事を八時間くらいの間に終わり、消化に使う時間を少なくするという健康法は何かの機会に目にして自分で試してみるつもりで始めていたのですが、石黒成治医師の「本当の腸活」というネット配信記事を見て、腸の果たしている役割、心身の健康との関係、病気の予防と原因など日頃から疑問だったことがだんだん統合して理解できるようになりました。しかし、実際にこれらの問題と向き合っていくのはこれからのことです。

 私の家族は皆健康問題を抱えています。個人的には家族も一度健康問題をしっかり考えてみてほしいと思うのですが、皆それぞれ自分の考えがあって、私がちょっと話そうとしても受け付けないオーラがいっぱいです。少し検討してみようかとはなりません。私の話ではだめなのです。それはちょっと残念ですが私は自分の健康状態をよくする努力をするしかないと思っています。

 自分はかなり悲観的なので、あまり自分の本当の気持ちを言いたくない。誰だって何となく安心していたいのですから、根拠ない安心でも安心していることに積極的意味もあるのかもしれないなとも思います。

理由ない悲観ではなく、根拠ある悲観だと思うなら、問題を解決する努力をしなければならない、何のために人は生きるのかは人によってはそこにしか意味がない立場の人もいるのだと思います。







 

nice!(10)  コメント(1) 

こだわりを離れる [雑感]

 

 このところ変わったことがいくつかあって、その一つがネットの回線業者を変更したことです。昨年携帯をガラケーからスマホに替え、今また回線業者を変えたことで機械音痴の身であたふたしどうしです。

 夫が入院、いったん退院になりましたが現在ガン治療中です。

 でもいろいろのことがすべて大きな流れの中の一つ一つとして起こっていることのように思います。

 とても良いタイミングで石黒成治先生の「本物の腸活」というネット記事を見る事が出来ました。

 人はどうしても自分がこれまでに得た考えとか認識にかじりついているものです。常に今までの知識や習慣のようなものを疑ってゼロにして考えてみるということを疎かにしがちだと思います。自己愛のなせる業でしょうか。

 頑迷でそういう自分にかじりついていると自分の間違いや偏りに気づかないで、俺はこれでいいんだなんて決めてしまいがち、経験から得たものを見なおしてみることをやめて柔軟性を失ってしまいます。それではもっと良くなることを自ら放棄してしまうことになりかねない。石黒先生のお話で、自分が知らなかったこと、学んでこなかったことが少しわかったように思い、わたしにとってとても大きな出来事になりそうです。

nice!(11)  コメント(2) 

カオスの中を漂流する個人  [日記]

 

 ADHDという発達障害について、最近耳にすることが多いと思います。しかしこの障害まだはっきりした診断や治療法は定まっていないようです。また原因についてもいくつか説はあるもののまだはっきりしていないようです。心を病むということはどういうことだろうと、また現代の精神医療についての疑問ももってきました。

 混沌の世界と個人、個人とは何で個人はどう生きればいいのか、心のどこかで探し続けて自分にとって少し結論めいたところに来ていると思えるのは足元をしっかり、足元から始めようということです。 


 安藤忠雄さんの話 ーテレビ朝日。報道ステーション10月26日(月)~30(金)ー をネットで見て、自分の疑問へのヒントをもらっているようにも思いましたので、シェアさせていただきたいと思います。



  第2回に登場したのは、世界的建築家の安藤忠雄氏でした。


“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

大阪の下町で祖母に育てられ、家庭の経済事情から大学進学はせず、独学で建築家の道へ進む。


1976年に手がけた「住吉の長屋」が高く評価され、日本建築学会賞を受賞。その後も国内外問わずさまざまな建築を手掛け、イェール大学教授、コロンビア大学、ハーバード大学客員教授などを歴任する他、1995年には建築会のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞など華々しい経歴を持つ。


しかし近年は体が病気に冒され、2009年にはガンが発覚し、胆のうと胆管、十二指腸を摘出。2014年にもすい臓がんが発見され、膵臓と脾臓を全摘出。


そんな苦難も乗り越え来年で80歳となる安藤に、建築物に込めた意思や未来を担う人々への思いを聞いた。


※YouTube完全版動画はこちら



ビデオプレーヤー: YouTube (プライバシー ポリシー, ご利用条件)

これまで数々の名建築を世に送り出してきた世界的建築家、安藤忠雄。さまざまな逆境と戦い乗り越えてきた彼は、80歳を目前にしてどのような未来を語るのか。


話を聞いた場所は、大阪府大阪市の児童向け図書施設「こども本の森 中之島」。安藤が設計し寄付をして、今年7月にオープンしたことで話題となった。「新聞や本を読まない子どもが増えているので、活字文化の大切さを伝えたい」との信念に基づく活動であるという。


“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

 

“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

子どもが楽しめる絵本から、大人が読んでも楽しめる小説。学術書に漫画まで、蔵書は幅広い。


「おもしろいですよ。ここに来たら1日はじゅうぶんにいれますね。ここにある本は、どこで読んでもいい。外へ持っていってもいいんです」(安藤)


◆「コロナで人が集まれない。これは人間にとっていちばん大変なこと」

“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

建築の世界においては、さまざまな思考の積み重ねの上に建物が出来上がるという。この図書館は、どのような考えの基(もと)に建てられたのか。


「(建築においては)考えていちばん良い答えをみつけないといけません。中之島は大阪のシンボルみたいなところ。そして、これからの大阪にとって大切なものはなにかというと、子どもなんです。我々がつくるのは宝箱みたいなもの。ただ箱と、本を用意しただけです。この施設にとっていちばんの宝はなんといっても利用する子どもたち。子どもたちに元気よくなってもらうためにはどうしたらいいか、ということをまず考えました。そうしたら形はおのずとできてくる。


好奇心は大事です。いま子どもたちに元気がないのは、親がコントロールしすぎるからです。塾に行きなさい、一流大学に行きなさい、大きな企業に入りなさいというけれど、子どもが自分の考え方ができあがってくる時期は7?8歳ですよ。みずから考えて行動できる大人になるにはこの大事な時期に本を読まないと。


自分の故郷の風景を心の中に刻むところをつくる。そして、あのとき見た本を読みながら、次の時代はどう生きたらいいかと考えられる子どもを育てることが出来れば、世界に通用すると思うんです」


さまざまな人という宝を輝かせるための箱として、あらゆる試行錯誤を重ねて建物をつくる。それが建築なのだと安藤はいう。


「建築というのは、歴史的にもエジプトの時代からギリシャとずっとありましたけれども、お互いに対話をする場所をつくる行為なんです。例えばギリシャのアゴラという広場は人間が集まって意見を交わす場所です。ローマにある広場も、みんなが集まって考える場所です。


いまはコロナで集まれないじゃないですか。これは人間にとって大変なことなんです。コロナも大変ですが、集まって心からの会話ができないのがいちばん大変なこと。それを乗り越えていくためには、気持ちの持ちようが大事です」


いまだからこそ、人が集い、考え、心を重ねることが大切――。安藤は力強くこう語る。


「心のありようってあるじゃないですか。近所に対する愛情、犬や猫や生きているものへの愛情、老人に対する愛情。そういうものを含めて、あらゆるものに対して愛情がないと乗り越えていけない。生きていくためのモチベーションは愛情だと思うんです」


コロナ禍により、インターネットを通じたコミュニケーションが世界中で加速する昨今。ネットを通じて簡単に人と“つながれる”といいがちな世の中だが…。


「スマートフォンというのは、愛情のない機械でしょう。私も使ってるけど全く愛情が感じられない。(情報が)ぱっぱぱっぱ出てくるけど、迷惑な機械ですよ(笑)。(情報をただ受け流すだけでなく、)ちゃんと体で感じることのできる子どもを育てないといけない。子どもにスマートフォン、コンピュータを与えすぎなんです。お互いにしっかりと対話しながら生きていく。そのなかで初めて愛情が出るんでしょう」


◆ “情熱”で壁を乗り越えてきた「人生はどうにかなると思っていました」

“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

1941年に大阪で生まれ、祖母に育てられた安藤。学歴やコネはなかったが、下町の“愛情”と“情熱”が彼を建築家の道へと向かわせた。


「中学2年生のとき、自分の家を2階建てにしたんですよ。近所の大工さんが来て、働く姿に感動しました。昼飯も食わずひたすら働く。なるほど、ひたすら働けばなんとかなるんだな、と思いました。全力で走ることが肝心なんだと、そのときに思った。その大工さんの仕事を見て、建築の設計も面白いと思ったので、全力投球で自分で勉強しようと思ったのですが、この国はそれが難しかったですね。


学歴がない、社会基盤がない、周り(に友達)もいない、知的体力も低い。中学校の成績が3、4番くらいだった。下から勘定して3、4番(笑)。専門学校も大学も出ていないから、建築家になるためにはまず2級建築士の試験を受けないといけない。昼飯も食わずに一心不乱に勉強しました。働きに行って、昼の休憩時間1時間勉強したら通りましたよ。365日、1日1時間あるわけですから。1回で通りました。


1級建築士はその3年後にあり、この時も昼飯は食わない。みんなから『変わった奴や』って言われたけれども、自分の信念を貫かないと生きていけないと思っていましたから、気にならなかった。昼飯は食わない。これも1回で通りました」


“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

安藤の建築には、圧倒的な意思がこもっている。


実質的なデビュー作となったのは「住吉の長屋」。中庭には屋根がなく、雨が降るとトイレへ行くにも傘を差す必要がある。しかし、中庭を通して差し込む太陽の光や風が“自然のある生活の豊かさ”を教えてくれる。この作品は世界を驚かせ、日本建築学会賞を受賞した。


「私は“暴走族”やと言っているわけですから、はみ出ているわけですけど、ルールは守る。ルールは守るけど、はみ出ている。精神がはみ出ているわけです。大阪生まれの大阪育ちで大阪を拠点に仕事をしていますが、大阪の人には嫌われている。『あいつははみ出ている。勝手なことばかり言ってる』と。だけど、実はルールは守っていて、責任感はある。いちばん大事なのは責任感なんです。


これをどうしてもやり遂げたいという想い、それを支えていく“知的体力”と“肉体的体力”の両方を鍛えて、維持していかないといかんという思いがあります。難しいことはいっぱいありましたよ。うまくいかない。でも、そう言いながもなんとか乗り越えていく。山を乗り越えたらまた山が来る。また乗り越えたらまた山が来るんですから。前に山が立ちはだかるというのは慣れていますから。人生はどうにかなると思っていました」




「好きでなかったら、なかなか前に進まないからね。いまは職業を自由に選べるじゃないですか。でも30年くらい前までは、あまり自由に選べなかったんですね。(成功するためには)一流大学に行くというルートが決まっていたから。昔はそのルートをなかなか乗り越えることができなかった。でもいまは乗り越えていけますから。その為には自分がやっている仕事を徹底的に勉強しないといかん」


◆これからは「自分で人生をプログラムしないといかん」

“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

さらに安藤は、未来を担う人たちに対しても“情熱”が必要だと語る。


「昔は一流大学・一流企業に行って、60歳くらいで定年になって…と言ってきたけど、いまは人生95から100歳まで生きるわけですよ。そしたら自分がどう生きるかということを、自分でプログラムしないといけません。自分で考えるのが下手なんですよ、日本人は。だから年功序列、終身雇用が非常にうまくいってたわけですが、いまは違いますから。


自分で人生をプログラムしないといけません。そしたらね、けっこう面白いことがいっぱいあります。たとえば私は学歴がない、社会的な基盤がないといいながら手を差し伸べてくれる人もいるし、仕事を頼んでくれる人もいる。私のことを面白いと思ってくれる人もいて、いろいろな人たちと出会いながら、自分なりにやってきましたから。みんなにチャンスがあるんですよ。


いまは全ての人にチャンスがある。経済力のない方にもチャンスがある。その人たちは、自分なりの人生のつくり方を考えなければいけない。そりゃあ頭がいりますよ」


“情熱”を持ち、人生を自分でプログラムすることで、壁を乗り越えられるのだ。


「人生、面白い。なにかが起こる。起こったら考えると。考えていくとその先には必ず楽しいことがあるんですから。例えば病気にもなるし、会社がうまくいかないこともあるし、いろいろうまくいかないことがいっぱいあるでしょうけど。先はいいことあるぞと思えば、なんとかやっていけると思っています」


◆世界中が変わっていくときに、自分はなにができるのか

“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

79歳の安藤が見据える未来とは――。


「ガガーリンが言ったように地球は青い。 “地球はひとつ”ということを考え続けて未来を見据えなければいけない。日本人はもっと科学、芸術、技術の分野をサポートして、世界に冠たる科学者、技術者、アーティストが多く存在する社会を目指して頑張らないと。それぞれが自分でものを考えることができるように誘導しながら、豊かな社会へと牽引していくリーダーたちを育てなければいけません。それを政府がサポートしなければならないのですが、(いまの政府は)そこをカットしているんですね。しっかりサポートしていかないと、次の時代はないと思いますよ」


「コロナは大変です。スペイン風邪など、もっと前から疫病はあるわけですが、この大変さをどう乗り越えていくのか。それは人間の知的体力の問題です。いくら日本だけがブロックしても、アメリカだけがブロックしてもダメなんです。


地球はぐるぐるみんなが回っているわけですから、どれだけ頑張って日本だけが感染を収束させても、終わらない。やっぱり地球はひとつ、地球は丸いんだという立体感覚をもって生きてほしいと思いますね。


ブラジル、アメリカ、ロシアや中国と、国が分断しているじゃないですか。みんな自国主義。どこに乗っているんですか? 地球船という同じ船に乗っているんですよ。お互いに話し合える部分と、自分のところが頑張れる部分を認め合えば、もう少し分断されないで済むだろうと思います。地球がダメになったら、みんななくなってしまうわけでしょう」


分断された壁の向こう側の相手に対しては、どのように語りかければよいのだろうか。


「これは言葉じゃないんです。分断されることはいっぱいある。私はフランスとイタリアに行って仕事をしています。そこでは自分の情熱と気持ちを心から表さないと、相手はわからない。言葉で通じない心をどう伝えるかというトレーニングをしないといけません。


それは、愛情という力しかない。このコロナはものすごい時間がかかると思いますよ。世界中が変わっていくだろうというそのときに、自分はなにができるのかということをそれぞれが考えなければいけないと思う」


<構成:森ユースケ>


 「目の前の山を乗り越えていくために必要なもの。それは“情熱”だ」という安藤氏の言葉、勇気をもらえると同時にそれしかないのだ思います。生きること、人間への愛と情熱を一人ひとりが大切にできる環境というか世界を目指したいですね。


 最近の通信機器の発達は目覚ましく天井知らず、個人もその影響から無関係ではないのですが、年配者にとっては例えばスマホ、使い方が難しくてさっぱり覚えられません。まるで魔法の小箱のようで恐ろしい。

たいへんな可能性があるけれど、使い方を知らないと大変なことにもなるから手も足もでないです。[ふらふら]


 世界と多様性ということ、為政者は本当に分かっていないといけないはず、でも自分に分かっていることだけが分かっていて、未知ということそれは無知と同じだと思うのですが、知らない世界、自分の目の届かないことについて謙虚で聞く耳、知ろうという気持ちがないと為政者として失格、無知について関心がないのだろうかと思います。























nice!(6)  コメント(0)