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今、昔、そして明日 その七

   毎日が心が痛くなるようなニュースにばかり接する。だから心が明るくなるようなことを考えたくなる。失望ばかりしていられないではないか。敗戦から八十年近くになろうとしている日本、どんな歩みをしてきたのか。そして未来をどう紡ぐのか。

これから、未来を考えたいなら、過去に学ぶ、広く深く過去の経験に学ぶ必要がある。なぜから今苦しんでいる問題、世界が苦しんでいる問題と無関係ではないから。争いの始まりと終わり。不信の始まりと終わり。分断の始まりと終わり。イスラエルとハマス、一日も早い停戦を願うが、時空をこえた人の道はあると思う。


 加藤シゲアキの「なれのはて」という作品についての記事を目にした時、どうしても読みたいと思った。書店に問い合わせると売り切れで取り寄せになるという。

図書館に聞くと貸し出し中とのこと、別の図書館で借りることができるというので申し込み。数日して読むことができた。毎日読む楽しみがふえた。昨日読了。

多くの読者を意識しているためか犯人捜し的な要素が加えられ、エンターテイメントの要素が強くなったと思う。そのことがリアリティに不自然さが加わっているように思う。しかし作者の書こうとしたものは骨太でスケールが大きく、しっかりした構成力、人物たちへの作者の目が読むものをぐいぐいと引っ張っていく。大型新人の誕生と特集を組まれているがその魅力は十分だと思った。


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分断はどこからやってくる?

 不安はどこからやってくるのか

悲しみはどこからやってくるのか

不信と分断はどこからやってくるのか

怒りと憎しみはどこからやってくるのでしょう

不安、不信、悲しみの海から抜け出すきっかけを与えたくれた

のはあなたでした。

あなたはそれを知らないでしょう。

この先もずっと知らないまま、気づくこともないでしょう。

でも私はありがとうございましたと心で感謝しています

わたしは知りました。

不信と分断がどこからやってくるのか

歴史は表に出て知られたものだけが作っているのではない

ガザで短い命を落とした子ども、この世に生まれて何日もしなか

た命も歴史をつくっていることを知りました。

隠された命、見逃した命

生きることを許されない命は世界の半身

私たちの目が曇ることなくそれらに光をあてたとき

世界はどう変わるでしょうか。

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2023-10-25

生の意味。
人はどこから来てどこへ行くのか。そして生きる意味とは何か。
生きる意味、目的などはないと言われることが有る。そうだろうか。生きる意味はあると思う。
動物、植物、鉱物を問わず、世の中のありとあらゆるものが変化し壊れ、滅しないものはない。それが自然の摂理だ。
ところが、その自然の摂理に従わず、人為的に破壊し、命を奪う。
その最たるものが「戦争」だ。
~~
壊さなくても良いものを壊し、奪わなくても良い命を奪う。
何と愚かな事か(嘆)。
みんな人類の「無明」のなせる業、「貪・瞋・癡」のなせる業だ。
~~
こうして耐え難い「愛別離苦」を増大させる。
愚鈍な生き物人類に「叡智」はないのか(涙)。
折角この世に生を受けたのだから、少しでも「叡智」を働かせてもらいたいものだ。
私は優婆塞 空昌・・・合掌。
 これは空昌さんの言葉です。
生きる意味について。根を知る。
 根を知るとは足元であり、私自身の自我であると同時に生まれ育った故郷、親兄弟などの歴史からつながったものである。
 故郷喪失。根無し草。自我喪失は生きる意味の喪失になるのだろうか。
 生きるとは自分の命の活動であると同時に他者とのつながり、歴史を過去から未来へつないでいる。
 自死やそれ以外の死でさえ、この世界に生まれてから世界との繋がりのなかで歴史をつくっている。
 だから誕生しやがて死すものに生きる意味がないなどということはないのだ。
 誕生から死までのすべてが歴史を作っているのです。

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2023-10-12

  埼玉自民党県議団が提出した児童虐待防止条例。

いかにも自民党らしい考え方だと思いました。子どもを育てる、子供が育つという中身や環境をまるで理解していないと思いました。少子化もずっと昔から当然予想できることでした。子どもが元気に生き生きと安心して育つことができる環境に何が必要か根本から考えなければならないと思います。

 わたしは書かずにいられませんでした。苦しい気持ちを吐き出して、自分の気持ちを確かめてみる。親になって親であることでなぜこんなに苦しいのかと。


 パレスチナとイスラエルの対立。なかでもガザ地区の子どもたちの環境を知るたびに世界は飛躍的発展成長を遂げ、火星にまで届くかもしれないという科学技術発展を遂げ人生を謳歌する一方でガザの彼らの存在を長い間無視することができたのです。突然のハマスのイスラエルへの攻撃、背後にどんな思惑、力が動いているのかわかりませんが相手のせん滅を目指してお互いが総力戦で戦う時もっと大きい恐ろしい犠牲を生むのでしょうか。

同じ人間としてなぜ、相手の弱さ、苦しさ、悲しさを理解して同じ人として共に生きることを考えられないのだろうと思います。不信の裏腹にあるあくなき傲慢のためでしょうか。

 

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テレビを見たくない、新聞を読みたくない、、、なぜ? もやもやするから。 [雑感]

 新聞もテレビもあまり見なくなったり理由。大きい理由の一つは面白くない。同じくらい大きな理由はほかに時間をとられるからだ。この二つの理由にも関係するそのほかの理由があって、耳が遠くなったこと。特に物語などの会話がよく聞き取れないためにドラマを見ることがほとんどなくなってしまった。最近のドラマが私にとって面白いのか面白くないのか見ないからわからない。それに代わって本やパソコンに時間を使うことが多くなっている。旅番組のようものは出演する人の個性と相まって日本各地の風景、暮らしなどの紹介も興味がつきない。たまにこれは見逃せないという特集、記事もあるがやはり、どれだけ見るかは私自身受け取る側の関心や容量の問題なのだ(限定的になった)と思うようになった。

 時事や報道、解説などで気になるときがある。自由とか民主主義とか独裁とか、どれだけ本当に詰めて考えているのだろうと思うことが有る。本気で考えてみているのか。簡単に自分の考え(結論)を持ちすぎていないだろうか。昨日NHKEテレの「最後の授業」ほとんど偶然のように視聴することができたのですが、浅野さんはさすが作家だから自分を表現する言葉を若い人より持っているけれど十代から五十代の人同じものを感じているんだと思いました。





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青年の無力。ニイル著作からの感想

 ニュースはあまり見たいと思いません。見てもつらくなることが多いからなのですが、でも気持ちはすっきりしません。このもやもや感は何なのでしょうか。

 整理したいと思っても簡単ではありません。でもとりあえずたまってしまった日記や読書ノートの整理と本の整理からぼちぼち始めました。ああ、何年かかるだろう。でもそれが私の課題なのです。

 一番古い日記を見るとそのころの家の中がどんなものだったか。親と子供のずれ、子供にとって、また家族にとってどんなことがもう少し考えられていたらよかったかが今ならすこしわかるように思います。でもそのころは理解できていなかった。それは誰でもそうなのだと思います。

 神武景気と言われた1955年から1970年ころは日本が最も経済成長を遂げた時期です。物質的な豊かさが進む中での子どもたち。貧困から脱却出来たら幸せな社会になるだろうと多くの人が信じていました。実際自由になり、やりたいと思うことをやり、多くの欲しいものを手にし、のびのびと生活を楽しむことができる時代にはいったのです。何もないところからの復興が経済成長をすすめ、あるところまで行きつくと高度成長から低成長へ。経済の大きな果実がのぞめなくなったとき、人生の保障は良い学校に入り、いい企業に就職すること、受験が子供の人生を決定づけるものになっていきました。かりに学校へ行かないで人生の幸福を手にした人がいたとしてもそれは希な例外に過ぎないことを子どもたちは実感し始めた。人生の失速感、空虚感が強く影を落とし始めていました。

 最近本当の自分を大切にして生きるということが言われるようになりました。本当の自分とはありのままの自分、等身大の自分という意味で、別の言葉でいうとbeing(存在)です。存在そのものを認めるということで、行為や行為の結果から評価するdoingとは違います。

 存在、ありのままを認めるということが独りの「個」として大切なことはいうまでもないのですが、本当のありのままの自分を受容できるかというと現代社会で簡単でないことが多いのではないかと思います。

 それはなぜでしょうか。社会の大きな変化があるからと思います。科学の発展とテクノロジーの脅威的な進化です。それが経済と深くかかわっています。

 経済発展と個人の生、命の問題を今日の世界で考えずにいることができないように思います。


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今、昔、そして明日 その六 [随想]

 「イーロン・マスク」その人の公式伝記が出ていることをネットで見たときなぜ読んでみたいと思ったのか。イーロン・マスクの名前は時々ニュースなどでも見かけましたがあまり関心のある人ではなかった。関心を持ったのはウクライナにロシアが侵攻を始めたとき、イーロン・マスクの通信技術がウクライナに提供されているというニュースを見たときです。世界の一、二の高額所得番付の人だということはもちろん知っていたのですが。その彼が治安のわるい南アフリカで生まれ育ち、風変わりな親から壮絶な虐待とも取れる教育を受けながら育つ。「私は苦しみが原点なのです」という彼の言葉に彼はどう育って、どう生きてきたのだろうか、そして彼はこれからどういう人になるのだろう」と思いました。確かにめったにない超人の人というのは事実ですね。

 「イーロン・マスク」を読む前に藤木美奈子さんの「傷つけあう家族」を読んで強い感動を受けていた時でした。イーロン・マスクにしても藤木さんにしても生きることがもしかしたら困難かもしれない苛酷な状況の中でのサバイバルでした。なぜ彼らは環境に負けないで生きたのか、さらにイノベーションを続けることができるのか。

一方でいろいろの場面での日本の地盤沈下、少子化、ひきこもりや8050年問題、人材不足など構造的だと思える問題が深刻化しています。人も社会構造も変化を余儀なくされているように感じられます。

 それは私自身の個人的な問題でもありました。

 親って何だろうという疑問は年々深くなりました。そしてある時期から、親は人生の先輩として子供に教える立場にあると多くの親が考えているのですが親はそれほど賢くはない、むしろひどく愚かかもしれない、親に教えられることはそれほどないということをいやというほど知るようになりました。

 なぜそう思ったのか、親にとっても子供にとっても実は同じ解決困難な問題で、それはずっとずっと以前、古い昔からずっと続いていることなのだと思ったからです。でも親は子どもより長く生きてきた経験があり、経験がない、あるいは少ない子どもは親がした経験から事実がなにかを学ぶことはできます。親が子供に伝える、あるいは教えることができるのは自分の経験だけで、どう生きるべきか、どういう価値観や目的を持つべきかは親が教えることではない、子供が自分で探し決めていくことなのでしょう。もし子供の感情が封印され閉じ込められることなく自由であったら、あるいは聡明で親世代からの経験や影響を吟味、取捨選択できるとしたら、自分の生活を自分で選ぶことができます。そういう意味で親と子は同じ問題を持つ仲間なのだということができると思います。

 次にA・ニイルが考えた「自由」という問題と「不信と分断、主観的事実と客観的事実」という問題を考えたいと思います。

 

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2023-09-18

  この一二か月の間にとても重要だと思えること、ちょっとステージが変わったように思えることが続きました。

 それはこの間に読んだ本にもよるのかもかもしれません。

 九月も半ばというのに朝から湿度が高く、おまけに気温も34度くらいでしょうか。明らかに気候変動は新しいステージに入っているのではと思わせられてしまいます。

 本屋に取り置きしてもらっていた本を受け取りに行きました。一冊は「犯罪心理学者は見た危ない子育て」もう一冊は「イーロン・マスク」ウォルター・アイザックによる初の公式伝記です。「犯罪心理学者は見た危ない子育て」は読み終わり、「イーロン・マスク」はまだ読み始めなのですが、何か自分のこれまでの認識を変えるくらいな強い印象を受けています。あくまで自分にとって、私にとってこれらの本が何を与えるかです。自分がどう変わるのか、ちょっと楽しみです。

 


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今、昔、そして明日 その五 [随想]

  その記事が目に入ったのはネットだったかなと思います。

すごい人生、驚くべき人生だと思いました。法廷で無期懲役に処するという判決が裁判長から言い渡されたとき、「控訴はしません。万歳を三唱させてください」と言った被告。新幹線の車内で面識もない無関係な一人の男性を無残にも殺し、二人の女性に重軽傷を負わせた小島一朗である。

女性に突然なたで殴り掛かった男を止めに入った男性は自分は逃げることも可能な位置にいましたが、犯人の行為を止めに入って若い人生を絶たれました。

多くの国民は被告に死刑を、殺人鬼の処刑をねがった。被害にあった三人、その家族の無念、悲しみ、怒りは言葉にならないにちがいない。もし自分がその立場だったら正常でいることはできないと思います。

 いんべかおり著「家族不適応殺」新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像を読んでいます。最後まで読んだとき、私は何を考えるだろうかと思いました。書かれている人物、そこに出てくる状況と人々と同時に筆者その人にも出会うことになる。たとえそれがフィクションではないドキュメントであったとしても書かれたことは筆者の目に写ったものであり、筆者によって書かれているという意味でその人を問うことでもある。

一度に読み切れる量ではなかったので、いったん休憩。しばらくすると眠気が襲ってきてました。午前中から眠いというのは体調があまりよくないということだろうか。この夏の暑さと不規則になりがちだった生活の影響か、このところあまり出来なくなっていた口内炎が舌にでき、体に紅斑ができた。

課題はいくつかあってはっきりしているのですが、自分の力量を超えているのでアップアップしている。何とか優先順位をつけて一つ一つ片づけたいと思う。目が覚めて、AU店に。スマホの解約に伴ういくつかの手続きは今日で五日目になる。


「家族不適応殺」を昨日一気に読み終わりました。

喪失からいかに立ち直るか。ゼロ以下、負以外に何もない、孤独孤立からどう生きたらよいか。前者は何かを持っていた人が喪失した悲しみからの立ち直りであるが、後者はもともと何も持たない人が与えられた生をどう生きるかです。この異常で理解しがたい殺人者小島一朗は後者なのではと思いました。なぜそう思ったのか。彼の育ちが彼の不幸を作っているように思えました。

おぎゃあとこの世に生を受けて生まれたその時から、どんな国、どんな経緯でどんな親から、どんな環境に生まれるかはその人には分からない、また選べません。第一次大戦、第二次大戦下のドイツで問題の子供の研究から出発したA.S ニイルは「問題の子」を書いた後、自分は間違っていた、「問題の子」はいない、「問題の親」があるだけだと気がつきました。問題の親というのは親と社会ということです。

「家族不適応殺」と同時にアメリカの映画「ショーシャンクの空に」の原作になった「刑務所のリタ・ヘイワーズ」を含む「ゴールデンボーイ」を図書館が借りることができて読んだのですが、衝撃でした。なぜ衝撃だったかはずっと私の関心を占めていた問題だからです。

 この二冊の本を読み終わって昔買って読んだことがあった藤木美奈子さんの「傷つけあう家族」をもう一度読んで見る気持ちになりました。壮烈なドメスティックバイオレンスから逃れ自己の尊厳を回復した藤木さんの本です。藤木さんは今DV被害が増加深刻化しているなかで、幅広い問題への取り組みを強力に展開している方のようです。

 この本から教えられることはたくさんありました。言葉にならない深さで。

 人と人の関係はどうあるべきなのでしょうか。子どもはどう扱われるべきなのでしょうか。なぜ犯罪があり、戦争が起こり、人と人が傷つけあい、平凡だとしても安らかで平和な暮らしを手にすることができないのか。

それが可能な人と可能でない人があるのはなぜでしょう。それはずっと私の中にある疑問でした。

 ニイルはその根源に迫りました。ニイルはこれらの問題に彼の回答を与えています。

 「ニイルの生涯をかけた研究は単にいかに問題の子をコンプレクスから解放して自由の境地に救うか、問題を持ち問題を起こすことがないような、円満な善良な子どもを育成できるかだけでない、今日の冷たい暗い世界不安の中から、どうしたら人類の未来に明るい希望を持ち、平和の世界を築き上げていこうとするような人物を育成できるかでした。そして長年にわたるその研究、実際の取り扱いから、これに対する結論を与えたのであると訳者の霜田静志氏は書いていますが藤木さんの本はニイルの本が示したことと共通することを感じます。

 今朝からニイルの「知識より感情」ニイル著作集5の十章「青年の無力」を読んでいました。問題の核心とその中から希望が少しずつみえてくるように思いました。次回そのことについて書こうと思います。



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今、昔、そして明日 その四

 人という字を見ると感動してしまいます。人と人が支えあって人という文字になっている。ということは人と人の関係がなければ人ではないということでもあるということ。

また人間は人と人の間と書きます。人間は一人の人と人との関係でできている。釈迦が言ったように一即多、多即一である人間を文字は表しています。

 自分と他者の関係、自他への愛がなければ人類は存在できないのではないかと思います。

 でも時代を追うごとに、文明社会が恐ろしいほどに機械文明を発展させ、テクノロジーが進歩し、人間に代われる時代になって、何が起こっているのか、どう変わっているのだろうかと私は考えずにいられないでいます。そしていつもなぜか悲しい気持ちでいます。

 悲しいという感情は悪だと仏教は教えますが、そう教えられたとしても悲しい気持ちはなくならないように思います。

 なぜ、憂鬱なのだろうかと考えると何かを問い直さないでこのまま進むとどうしても人間の未来が明るいのだろうかという疑問から離れられないからです。

利己的力の強弱(生存競争)は人間の本性の一面で、もし他者の存在の尊重がなければ闘争の歴史を繰り返す先に人類の死か、あるいは一部の力あるものの支配にゆだねられる世界になるのかもしれません。

 それまでにどれほどの死と悲惨がつみあがるのでしょう。私はそれを認めることはできません。

 FACEBOOKの中で空昌さんの投稿記事を紹介させていただこうと思います、私は全く同感です。

  天は「不平等」である?・・・でも、天にだけ責任を押し付けるな!!

大雨で水害が起こる地域もあれば、水不足で給水制限をしなければならない地域もあるし、田んぼがひび割れている地域もある。

世界ではハワイを始め、干ばつと強風で山火事が頻発し、大災害が起こっている地域もある。

~~

本を糺せば人間が地球という星の事も考えず、未来を生きる人達の事も考えず、眼前の利益だけを考えて好き勝手な事をした結果が招いた災いである。

~~

哀れなる哉人類・・・

戦争などしている場合か?

軍拡競争をしている場合か?

如何にしたら未来を生きる人達の為に「明るく安全で希望の持てる地球」を残す事が出来るかを考えたらどうだ!

今だけ、金だけ、自分だけ、自国だけ・・・ではダメなんだ。

合掌。

 多くの犠牲を払って、日本がなにもなくなってしまった敗戦から今日までの変化は成長と発展の追求だったのかなと思います。その成長と発展をもたらしたものは没我的な個人意識から個への変化によってもたらされたということができるように思います。自分が大事という自分中心、自己責任が社会の価値観として定着するとともに経済や社会生活の発展がすすんだという側面があったと言えなくないでしょうか。

 自分が大事である、自分の利益、利害、生存が一番大事でそれは個人の生命力なのだと思いますが、同時に人は一人で生きているのではないという事実もまた揺るがすことができない事実です。自分と他人、その他もろもろが同時であるということもまた事実なのだと思います。

 弱肉強食は自然の真理であり法則だと今も疑わない人は多いと思います。でもわたしは人間が生き残るのは弱肉強食だけではない共生、共存だと思います。

 しかし現代文明社会の光と影に何か恐ろしいものの進行を感じます。それは生身の人間の淘汰や人間性の破壊が付随しているように感じられるからです。

 

 一寸の虫にも三分の魂。

(自己)評価と(自己)存在の肯定とは別のもの。

 文明と文化の意味の違い、両者をキチンと分けて考えること。

 現代文明社会の光と影

 自己肯定と真の自由とはなに?


 最近よくいわれることがあります。自己肯定感を高めようという言葉です。

 この自己肯定感ということが非常に今問題になっています。いろいろのところでいろいろの場面で言われます。

 自己肯定が人との比較のうえに優劣や能力の意味なら、私はとても低い。色々な意味でどうしようもない人だと思うことが多い、社会に生きていくうえで必要だったり大切だったりする能力があまりない情けない人物だと思うくらいなのですが、それでも私は自分を大切にしたいと思います。大切にして愛したり、励ましたりしています。

 文明は人の手で作られた構造物で、文化は人の生存、活動そのものをいうのだと思うのですが、その生存活動が評価や分断や紛争になるのはなぜでしょうか。そこに働いているのが自己愛という生命力、利己的生存力だと思います。




 人は皆自然界を含む壮大な関係性、相互扶助の網目の存在で、誰一人として自分ひとりで生きていけるわけではない。川を流れ下った水が海に注ぎ一体となるようにあらゆる関係に境界がない。しかし個人の人生は個人の意識で営まれます。

 私の家ではよくアメリカの西部劇がテレビで放映されています。とても動的で力の対決、力がないと生きていくのは難しいんだなと感じさせられます。日本は周囲との協調が大事で集団思考が強いのに比べ、アメリカがDO文化とするなら日本はBE文化といわれるようです。でもどちらにしても一長一短があって、そこに自分がないとか他者が存在しないかだったら社会は歪み、網目は破壊されるか、一部の人だけが生き残る弱肉強食の結果になってしまいます。


 イギリスの自由主義教育の教育者A.Sニイルは「人間の生まれながらの善性」に強い確信を持つ人でした。
最近ネットで「人間の生まれながらの善性」という言葉に近い言葉だなと思った言葉を知りました。「バイオフィリア」(生命愛)という言葉です。
 、、、人間には自然や様々な形の生命とのつながりを求める生まれながらの欲求があるとドイツの精神分析学者 エーリヒ・フロムは「人生および生きているものすべてに対する情熱的な愛」を説明するために「バイオフィリア(生命愛)」という用語を作った。エドワード・オズボーン・ウィルソンが提唱した「バイオフィリア仮説」は、人間には自然やさまざまな形の生命とのつながりを求める生まれながらの欲求があり、その欲求には(少なくとも部分的に)遺伝学的根拠があることを示唆している。、、、
 人間の生まれながらの善性を信じていたニイルは人間の自然性は生命愛だとかんがえていたのではないでしょうか。
 この人間の自然性、生命愛がどんなに傷つき損なわれているかを文明の発展と現代社会ということから考えたいと思います。



 


 


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今、昔、そして未来 その三 [随想]

 前回「井の中の蛙大海を知らず」の続きです。


 カオスだった一か月。問題山積状態なのに、手を広げすぎているから、あれもこれもと、頭の中の整理がつかない状態。それでも何とか頑張っていたところにパソコンやスマホのセキュリティ問題が発覚。他の利用者に迷惑になっていないか、どういう場合に迷惑がかかるのかなんてわからず、、、。スマホを新しくし、セキュリティの対策を改めてしました。しかし今もスマホは不思議な魔法の小箱、あまり使いたくないです。

わたしがつかっているSMSはFACEbookですが、可能性のあるコミュニケイションツールだけど使い方が分からないと痛い思いをすることを学びました。どんどんデジタル通信の時代が進むことは避けられないのでしょう。少しずつでも勉強しなければと思っています。

知らないということは、なにも疑わずノウテンキか、何が本当で何が嘘か分からないですべてを疑い戦々恐々としてしまうか。私はこの知らないという状態です。過剰反応だったのか?よくよく調べてみると新しい携帯を買う必要があったのかなと思いますが、いずれにしても新しいスマホになって 携帯の契約をしているお店に通って今日で五日目になります。あと一日か二日したら一件落着ということになるといいなと思います。

 

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今、昔、そして明日 その二 [随想]

 「井の中の蛙大海を知らず」の話。

 私が公務員になって仕事をするようになって随分驚いたのは戦前中国や韓国(満州)、あるいは台湾、あるいは東南アジア、千島などで生活していた人の多さでした。その人達が日本が敗戦になった後、日本へ帰国する際どんな苦難にあったかを何人もの人から聞きました。復讐を恐れた人々は昼間は高粱畑にかくれ、夜中に移動し、まだ満足に歩くこともできない幼児や乳児をおぶっての移動。食べ物もなく、途中で命をなくす人も多かった。親子で自殺を図る人もあった。友人の一人から、母親と10歳を過ぎたばかりの兄と彼女、四歳の妹、二歳の弟の逃避行を聞きました。寒さに耐えきれず、ロシア軍の宿営地の近くで石炭を拾いに出かけたとき見つかり、突然銃口を向けられたと言います。しかしこのロシア人は石炭の塊を彼女に持たせてくれたそうです。彼女の両親は大学の時反戦活動をしていました。父は中国の前線に送られ、そこでも反戦活動をひそかに続けたようです。必ず父は帰ってくるからと母親は子どもに言い聞かせていたそうですが、父は戦死して帰りませんでした。帰国船に乗ってからも命の危険はずっとあったそうです。今高齢の人が長く口を閉ざしていた戦争体験を語る人がいます。

学校の同級生が8人ほど何十年ぶりかであったことがありました。今は保育園の園長さんをしながら、家庭菜園などをして暮らしているというクラスメートが中国から帰国したときの話をしてくれました。彼女にそんな経験があったことをその時初めて知りました。逃避行の間孤児になっていた同じくらいの男の子とずっと一緒だったそうです。その子は一人ぼっちで彼女一家を頼っていたのだろうと思います。いざ帰国船に乗船するという時になって男の子には乗船許可がなく、一緒に帰国することができなくて男の子はひとり中国に取り残されました。彼女が泣いて抗議したそうです。でも父親にそういえる場合じゃないんだと叱られたそうです。この時のことはいつまでも忘れることができないといいます。

 そうした経験は彼や彼女だけでない、殆どの人の経験と重なるものです。友人が上司や彼女より年上の人が政治的考えのちがいなく決して戦争などするものではない、してはいけないと誰もが言うのを聞いて、人間を信じることができたと語ります。この記事を書いている途中で記事が消えてしまいました。ガッカリです。

 次回に続けます。

 

 


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今と昔、そして明日 [随想]

 今と昔どう違うのかなと考えることがおおくなっています。戦争と現代、そこでボツボツ感じることを綴っていこうかなと思います。今回はその一回目です。

昨夜NHKスペシャル「戦後78年Z世代と戦争」を見ていてとてもしっかり考えている若い世代を感じました。自分の子供時代とウクライナをはじめ、今戦争下の人々、子供たちが重なります。


 あの戦争の時、子供だった人たち、その人達は今九十歳前後から八十歳前後でしょう。私の姉妹と同年齢です。それより年齢が上がるとほとんどの男子が兵隊として戦争に組み込まれています。彼ら少年兵がどんな運命をたどったか。私は日本から政党が亡くなって挙国一致の大政翼賛会になったそのころに生まれました。もちろんそのころの記憶はなく、子ども心に空を覆うくらいな低空でほとんど屋根近いくらいに感じたB29が毎日のように飛来すること、激しい時は防空壕にはいり、夕方になると毎夜のように南西の空がピンクに染まります。東京が焼けていたのです。私の家は何もない農村地帯でしたから焼夷弾が落とされることはなかった。小学校に入ってその後親友になった人は父親が戦死してありませんでした。おばあちゃんとお母さんと一人きりで兄弟姉妹のなかった彼女が三人で暮らしていました。美人で優秀な人でしたが、後継ぎがなかったので彼女は高校から上は進学しないで農業に従事しました。疎開してきた級友も何人かいます。子どもの頃は片足になったり腕がなくなったりした傷痍軍人が物乞いに訪れていました。小さな子供をつれている親子や母親もあり、人気がないところでは追剥が出るなどと噂があって夜などは物騒な時代でした。同じ年代の人達の戦争を知ったのは高校を卒業して東京に出てきてからのことです。

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メインブログを変更します。

  新しいブログをはじめることにしました。 [編集]

 パソコンやスマホどちらも詳しいことはわからない機械音痴のアナログ人間なので、短期間にガラケーからスマホへ、パソコンも三台目になり、OSも変わり、そのたびに目を白黒させながら、問題だらけで随分時間を消費しました。一切使わない暮らしをする覚悟ならやめてしまえばよいのですが、中途半端に

使いたい。それなら覚えるしかありません。やっとSSブログのアカウントも安定したようなのでメインブログを変更しようと思います。

「むかし」な人のブログです。ゆるゆると風船カズラ日記同様、お越しいただければ幸いです。





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二十一世紀は? [雑感]

 人は分かり合えない存在なのだろうか。昔は分かり合えないというところから出発していたのかなと思います。最初にそう思ったからなのか、積極的に友達をつくるほうではなく、本を読んだり、少ない人と親しくなったりしました。と言って人が嫌いというわけでもなく、話すことが嫌なわけではない。人に拒否的というよりなんとなく、自分なんてという自己評価のせいだったように思います。日本人に多い性格なのかなと思います。今も隅っこでひっそりしているほうが気が楽です。そんな人間が親になるとどう結果になるのでしょうか。

小説を書きたいと思った動機です。

 人と人、仕事の場や住む場、民族や国、なかなか理解やコミュニケーションがむずかしい。ひどい場合は相手を殺してしまったりさえする。なぜコミュニケーションは難しいのでしょうか。

 二十世紀と二十一世紀は違う時代になるだろうか。二十世紀までの歴史の延長線上にさらに進むのか、それとも違う時代がはじまるだろうか、そんなことを考えます。

 あたらしい時代の芽が育ちたくましくなってほしいと思います。

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よくわからないまま始めてしまって。 [雑感]

 スマホやインターネットなどよく分からないまま、殆どといっていいのですが使い始めて問題が起きるたびに苦労します。

 人生、生きることも似たようなものなのだと思います。始めようと思って、どう生きるか生き方とか分かってから始めるわけではないから、分からないことだらけ、問題だらけです。

 なぜ世界で今も戦争が起きて、多くの人が苦しんでいるのでしょう。

 日本の安全保障も怪しくなっているから、日本の防衛力を高めなければと、そのためにはアメリカとの軍事同盟協力関係を一層強化して、世界の覇権力を強化しつつある中国に対応する役割を担う。日本の軍事的役割はこれからさらに重要な位置を占めることになる。そんな方針を岸総理は固めたようです。

 物価高に追いつかない生活苦に四苦八苦している国民、賃金格差、少子高齢化が進む中で日本の将来に多くの人が希望をみいだせにくくなっている中で、軍事予算を倍増。国内での軍事演習、基地機能の拡大、国民も一人ひとり国をまもる責任を考えて増税に応じる。

 それで日本の未来が開けると考えているのだろうかと疑問になってしまいます。

 戦後からの歩みの中で、私は日本が間違った、あまり考えなかったことは教育と農林業などの基本ではないかと思っていたのですが、なぜこうも簡単でない疑問が山づみになるのでしょう。

 多くの人があまりに疑問が多くてその答えが簡単ではないから、考えることをあきらめ、考えても仕様がないからお任せしますということになります。

 個人が自分なりの答えを出して生活するということが難しい、それはたぶん集団を形成し社会的な存在として生きてきた時から始まったことだと思いますが、人間が作り上げてきた超文明社会である現代は一人一人の個人が社会の構成単位で、その個人が主人公である民衆の自治ということから考えると二十一世紀の今日ほど民主主義からほど遠くなった時代はないという指摘は事実だと思います。

 個人が個人であることから、個人の命が単なる道具、パーツの一つで魂を持たないものになっていく。

 二十一世紀の現代は一人ひとりがその人なりに活躍し生きる社会ではなくなって、命をもたない別のものになっていくのかという疑問が明確になってきた時代のように思います。


 今朝の朝日新聞朝刊の別刷り、beの記事に感動してしまいました。

 THE THREE FLAGS  ひとりじゃない 動画が発信

 こんな新しい芽、力が生まれているんだと。

 「子どもだけでできることは少ない。だから大人に知ってほしい」

 「ニュースで目にする虐待は、積みあがった子育ての問題のほんの一部。そこに至るまで、親も子どももたくさんのストレスを抱えている」

 「虐待はひとりの人が大人になり、家庭をつくる中で起きる。苦しんでいる大人がいたら、大人同士も助け合える社会にならないと。すべての人が目を向ける問題だ」

 「自分の生い立ちを一人で抱えている子はたくさんいる。ここにいるって掲げることで、みんなの希望になりたい」

 「行きつくのは、親になる前に一人の人が大人になる段階から、どう変えていくのかということ。子どもを守るためには、苦しんでいる大人も助けなければならない」

 「逃げ場がない。絶望している子供たちに何を伝えたいか。ただ、今日を生き抜いた先に、この世界の人全てが敵ではなく、たったひとりでも信じられる人に出会えることを考えて信じてほしい。自分が感じた違和感は持ち続けてほしい」

 「生きていれば救われるとは限らないですが、生きていてくれたからこそつながることができ、生きていなければ全てが終わってしまう。生きることは一つの選択肢で、それを選んでくれたのはすごくありがたいことです」


 なんと強いやさしいメッセージでしょう。強くて優しい人たち、感謝です。

 こんな新しい芽、力が生まれているんだと。

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忙しさを考えてみる。

 毎日生きているとやらなければならないこと、気になっていること、さらに課題のようなことを含めるとだれでも十個から二十個はすぐ思い浮かべることができる。何を言いたいかというと誰もがそれなりに忙しいと思う。余裕をもって過ごすということはなかなか難しいことだと思う。余裕がないと他人にも自分にも優しくなれない。思い通りにならないことに怒り、暴力に頼る。現代人の忙しさということを考えるとどうなるか。

 自分のことを考えてみると、気になっていること、やらなければならない、例えば郵便局で公共料金の支払いをするとか、ズボンのボタンが取れてしまったのがそのままになっているとか、コピー機のインクが切れて印刷できないとかこんな細かいことを含めると十個や二十個はあるし、大きい課題と言ったら、例えば断捨離など一朝一夕では片が付かない。そんな中で頭を整理して、郵便局で支払いをすますとか、コピー機のインクを購入するとか、一個片づけるとすっきりする。現代に暮らす人の忙しさということを考えてみると大人から子供まで、その忙しさは社会に適応して暮らすために半ば強いられていることである。

 自由とは何か。自分の限度、適応力をこえてしまうときどうなるだろうか。

 柄谷行人さんの「倫理21」を読んだとき、自由とは何かという問題の答えに感動したのでしたが、今ハンナ・アーレントの「人間の条件」を読み始めて「人間である、人としての条件」ということに改めて考えさせられています。

 人間であるということはまず命をもつ個人であること。自分がなくて他人にいわれるままに同じに考えたり生活したり行動したりしていれば生物としての人間かもしれないけれど個人ではありません。

 苛酷な状況にあるウクライナとロシアの戦争、なぜ戦争が終息に向かわないのだろうと思います。

 ゼレンスキー大統領もプーチン大統領も人間という個人ではなく、大統領であり、国や民族の指導者でその役割のほうがずっと大きい、役割としてのゼレンスキー、プーチンになってしまっているのでしょうか。

 絶対的な悪があると考える人がいると思うのですが、そしてそれに対しては戦わなければならないと、悪は滅ぼさなければならないと仮に考えたとしてどうやったら悪を滅ぼすことができるのか。

そのまえに悪とは何かをはっきりさせる必要があります。

 悪が何かをはっきりさせたうえで、次に悪をどうしたらなくしたりあるいは小さくすることができるかが問題になります。真剣に対話してほしい。ゼレンスキー大統領もプーチン大統領も何かを失い、固まってしまったのでしょうか。



 この人の発言気になりました。


『自民党の麻生副総裁は「中国は台湾を支配する意欲を全く隠しておらず、台湾に侵攻するかもしれない。台湾有事の際には、沖縄県の与那国島など台湾に近い日本の領土に戦火が及ぶのは当然だ」と指摘しました。
そのうえで、防衛力の抜本的な強化について「もっと反対の反応が出てくると覚悟していたが、多くの国民の理解を得て、増税がありうることも含め、政権の姿勢を評価してもらっている。ロシアによるウクライナ侵攻で『自分の国は自分で守らなければならない』という現実を多くの人たちに自覚していただきつつある」と述べ、必要性を強調しました。』
 「自分の国は自分で守らなければならない」その通りとしてもどうしたら守れるか、単細胞でそれも危険な考えもあると思います。


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課題 [日記]

 わたしは筆まめではなく、全く反対、いただいた賀状への返信を終わり、そんなことでも一つ片づけるのにほっとしている。電話で話せる人には電話で新年のあいさつ。

付き合いのある人は高齢の人が多く、「働いていた時は簡単にこれくらいのことはこなしていたのよね、本当に動作が鈍くなって一日が終わってみるとなにもしていないの」と話す友人の言葉に、そうそう、あるある同じと思う。

 そういう私も今年課題にしていることがある。どうしても書かずにいられないことがある。何をなぜ書かずにいられない気持ちになっているのだろうと自問。書きたいことの一部を昨年いくつかの作品にしたが、どれも書きたいことの一部分で完成ではない。全体ではないから、表現したい内容がその範囲でしか伝わらないのは仕方がないので、記録のつもりで小冊子にした。数人の人にあげたが公にはしなかった。

 小説は読む人にどう読まれるかの問題である。表現したいことが表現できてそれがだれかに伝えることができたらよいなと思う。

 昨年断捨離の一環で写真類の片づけをしたとき昔の郷里の写真が出てきました。あってよかった、懐かしい風景の写真です。


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新年おめでとうございます。

 新年あけましておめでとうございます。

 今年が明るい一年になりますように祈ります。


 三が日は何も考えず、何もしないで過ごし、まだ気合がはいりません。愈々新しい年がはじまりました。

 新聞をやめようかなと何年かまえ思ってやめたことがあったのですが、息子が自分がとるからというのでそれならと朝刊だけとるようになったのですが、いつの間にか私が新聞代をはらうようになっていました。

 今はスマホやネットでほとんどの人がニュースを見るようになって、新聞の役割は何か、新聞社も真剣に考え始めているという記事がありました。

 わたしはふつう一日の始まりにともかく新聞にざっと目を通し、気になった記事は後で切り抜くようにしているのですが、最近切り抜きたい記事が多くなったと感じています。それだけ抜き差しならない、関心を持たなければならない記事が増えていて、ほかのものに変われないと感じます。新聞記事から問題によってさらに本を読むこともあるのですが、切り抜いたものや、さらに本を読むまで行くとなるとても追いつきません。

 今朝の朝日朝刊の一面記事「信仰、宗教」についての記事、宗教や信仰について考えることが多かったので大変面白かったし考えさせられました。 

 姜尚中さんの言葉が心に響きました。

「人生の目標は幸福にあると言われますが、違うと思う。人生の最後の一秒まで自分が生まれてきたことの意味を見つけ出すこと」と言われていますが、私もそうだなと思います。

「不幸であるがゆえに。より強く生きがいを感じ、生きることの意味を深く詮索できる」という言葉も然りではないかと思います。

  宗教の怖さについて、宗教的な出会いをすると「なぜ」に科学は答えられず、知性は犠牲にならざるを得ない。一番の問題は宗教的権威を使う偽善。では無宗教の科学や資本主義がいいという人はどうか。

科学という名の世俗的宗教、マネーという神を信じて戦争や原子爆弾や格差や富の独占という影響をもたらす。

 その時必要なのはあいまいさに耐える力と対話の力という姜尚中の言葉にあらためて教えられたように思います。






 

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今年ものこりわずか。 [日記]

 なぜか益々、根に帰りたいと思う。私が生まれたところは茨城の西南部で栃木県の山々に降った雨は鬼怒川、小貝川、飯沼川などに流れ下ってあちこちに沼沢地を作り、しばしば水害にも見舞われたところだったようだ。近世にこの地方の干拓事業、新田開発が盛んにおこなわれるとともにできた村の一つで、村の西側には広い沼地がひろがっていた。平坦な地形で空がどこまでもひろがり、地平と空がくっつきそうな眺望の果てに日光連山、浅間山、富士山などがながめられた。

 郷里の友人のはなしでは、村の小学校は全学年あわせても百人前後で、隣の村では一学年一人くらいのため二つの小学校が一緒になるのだそうだ。私の子供のころは、一クラス五十人で二クラスあったときから考えると子供の少なさに改めてびっくりしてしまった。中学校も水海道と石下の両市が合併してできた常総市に五校あるがそれが三校に統合される予定だというから、地方の少子化は恐ろしい勢いで進んでいることを感じさせる。

 根は始まりという意味と基本とか根本と二つの意味がある。なぜに地方の少子化がすすむのか。戦後七十五年の日本の歩みはどうだっただろうかと考えてしまう。

 人間、命という原点に返って、歴史を見直してみることで、これからの日本を作ることができるのではないかと思う。


本気になるものを持つことは大事だ。
そこにその人の生、命がある。
私の本気はどこにあるか。
それがあなたの本気なら。
私はそれを認める。それがあなただから。あなたの命がそこにあるから。
しかし私はそこで言葉をなくしてしまう
本気の中身はどんなものだろうか?
ウクライナ戦争について、なぜ?
疑問への答えは簡単にみつからない。
少し異なると思う二つのコメントをのせます。
 その一
橋下さんはウクライナの戦争の影響が大きいとの見解を示し「自分の国を守るためには、それはしかるべき防衛力を強化しなければならない」と主張。「国民の責任だとか我々の責任だとか問題になってましたけど、あれは『国民の責任』でおかしくないんですよ、私に言わせれば」と持論を展開し、岸田文雄首相の発言に注目が集まり、修正するに至った事案についても言及した。
 続いて、大平正芳、中曽根康弘、竹下登、橋本龍太郎、野田佳彦元首相の名前を挙げ、「全部(増税した)その後、選挙負けてるわけです」と解説し、選挙を控えつつ増税の話を切り出した岸田首相を「勇気のあること」とたたえた。
『火垂るの墓』あとがき 野坂昭如さん、1930年10月10日 - 2015年12月9日、享年85)
「君たちの生まれる前、戦争があった。たくさんの人が死んだ。そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。君たちはこれをどう考える。君たちの周りには食べ物が溢れている。けれど、そのほとんどが、輸入の産物。戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。身近に、作る人の努力を感じることができた。物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。『いただきます』という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。食べ物を大事にしてください。戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。君たちに同じ思いをさせたくいない。君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。この本を読んで、戦争を考えて下さい。戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください」(『火垂るの墓』あとがき 野坂昭如さん、1930年10月10日 - 2015年12月9日、享年85)
 二千二十二年という年が間もなく終わります。
ロシアのウクライナへの侵攻からすでに十カ月が過ぎようとしているが終息にむかう兆候がない。それどころか冬将軍をむかえつつあるウクライナの人々の苦境はさらに厳しさを増していると想像する。幸運にミサエルの砲撃から逃れ、戦闘から生き延びたとしても自分なら生き続けることはできないだろうと思う。寒さに弱い体はたちまち命の危機を迎えるからだ。血流も神経も固まってしまって細胞が壊れてしまうだろう。考えるのも苦しいが直接の戦闘による死者より死者が多くなる可能性だって目の前にある。
 第二次大戦末期、日本は本土決戦を考え、最後に残る国民ひとりまで戦うことを主張する意見が強かった。もしそうなっていたら、私は今生きていなかったと思う。
 戦争の発端はロシアによるウクライナへの侵攻だった。侵攻に対して戦い国を守るのは人として当然の道、命を懸けて国を守る、それが自分の生の意味、英雄的な人の道と考えるのも理解できなくはない。人としてしなければならないことと考えたら、どんな犠牲を払っても完全に国土と国が亡びるか、あるいは侵攻した国が完全な謝罪と敗北を認め、戦争に勝利するか、そのどちらしかなくなるだろう。
 なぜ戦争になるのかを考えると、戦争になる前にそれなりの理由がある。その理由を解決する方法として武力に対し武力で戦う、敵と味方という分断の考えに私は疑問を感じてしまう。戦う以前にどれだけ紛争の解決、武力の行使にならない努力を傾けたのか、戦争にならない努力にこそ命を懸けるべきなのだと思う。
 ウクライナ戦争の背景、東欧の危機、世界の今日的問題の大きさ、私たちが直面している課題の大きさと深刻さが一人ひとりに直に降りかかっていることに、足元が止まってしまう。
 日本の憲法が戦争の放棄という高い理想から実質的に変わろうとしている。日本の平和主義はお花畑の理想主義で現実には適さないというわけだ。
 現実に合わせるということはどういうことだろうか。真剣に考えなければならないことと思います。なぜなら今日本の憲法は岐路にあるからです。
  

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