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自分でできる事から考える。 [日記]

 

 予測不可能な変化の時代を迎えています。今まであった自然が今までと変わり、当たり前に思われていた人と人の関係とか生活がすさまじい変化をとげている、何がそういう変化をもたらしてきたのだろうと考えると、人間の太古から現代までの歴史の発展をみるとその到達点は当たりまえ、自然の理に適っているのだろうと思えてきます。

変えているのは主に人間でしょう。でもその自然の理が自然の破壊や人類の滅亡や勝者と敗者のさらなる加速化や分断に進むなら、それを進めている人間の生き方が望ましかったと言えるでしょうか。

 人の生き方はつねに二通りあると思います。また歴史も二つの力の戦いの歴史でもあったのではないかと思います。

 昨日たまたま、夫がジョン・フォード監督の「リバティ・バランスを撃った男」というアメリカの開拓当時

の映画をつけていたので私も最後まで見てしまいました。歴史はどのように進んできたのかを考えさせられるような映画でした。

 予測不能のような将来をどういう生き方の選択をしながらしぶとく生きるか、自分で考えるしかありません。

 二、三日まえ羽鳥モーニングショウで「老化を遅らせる最新研究」老化についてをとりあげていました。

老けるのは嫌だとか長生きしたいとかあまり思わないのですが、命を粗末にしたくないとは思います。

数日前、ぎっくり腰で入院する羽目になりました。

50近くなって、これ以上仕事を続けることはできないと思って仕事をやめたとき、「病気は自分で治す』という本に出会って、気分はルンルン、新しい生活を意気軒昂はじめたのでしたが、勿論はじめの見通しのように一直線ではありません。一番生活設計がちがったのはバブルの崩壊後に続く経済の落ち込みや長い停滞と社会や生活の急速な変化です。

 「病気は自分で治す」ということも具体的になると簡単に答えがみつかるわけではありません。


 最近の細胞や分子の研究は一日一日のめざましい進歩で細胞の細かい仕組みや働きが解明され、病気の治療や健康の維持に大変役立っているようです。

 しかし治療は病気になったときの対症療法でなぜ病気になるのかの原因や予防にはまだ届いていない、不十分ということができるのでしょう。

 多くの人が苦しんでいる慢性疾患、ガン、膠原病、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎、腰痛、高血圧、さらに多くなっている精神疾患、生きにくさなどはなかなか治癒に至らないことが多いのが現状で、安保先生は「調節系」(「自律神経系」)や「生体防御系」(「白血球系」)などの体全体に及ぶシステムの破綻につながっている点に注目されています。

 巨大で巧妙なシステムが初めから破綻しているのではなく、破綻している理由が考えられる。それは人間の生き方が大きくかかわっているのではないかと安保先生は考えられています。

 人間は生命進化の過程で大きな能力を獲得してきたが、脳が進化し賢くなりすぎて、本来備わっている能力以上の無理な生き方を長年にわたって続けている、それが病気につながる。進化の過程で獲得した能力を充分に使わない生き方を選べば、その機能は衰えるばかり。運動不足や肥満の流れ、活力のない生き方などこちらに入る。

 能力の限界を超えてしまったり、逆に、機能を使わな過ぎてしまったりといった生き方が「自律神経系」や「白血球系」の正常な働きを阻害し病気につながると考えれば、生き方の偏りを修正する努力が必要という指摘をされています。この指摘は自分の生活を考えてみてわたしにはとても納得できることでした。

 患者自らが自分から病気を作っていることに気づき、それまでの生き方を変えることによって、現在までの医療の弱点と「患者責任」の考え方を学んでほしいと安保先生はいいます。病気は私たちの生き方や考え方をただすために現れた光明だとさえいえるというのはそうなのだなと思います。

 経済だけから人間を考える事はできない、経済も重要ですが、もっともっとトータルに人間を考えなければならないと思います。 

 自分にできること、したいことは努力することだけ。結果は個人の意思を超えたものです。考え努力をすることだけが生きることのように思います。

 三つのうち、一個くらいしかできなかったとしても頑張った結果ならそれで仕方がない、五つ位その日のうちにやりたいと朝決めたとして、一日が終わってみると三つくらいしかできていなかったとしたら? それでもやろうと思って努力した結果ならそれでOK。一つもできていなかったら、さてどうしましょうか。これではいやだ。明日はもっと頑張ろうと。頑張ろうと努力しないなら、わたしは生きる意味がないと思いますが、これでは緩い?

 いつの日か、体が動かないときがくるのかもしれません。その時のことはその時になってみないとわからないでしょうね。

 年齢や立場によって、考える事、考えなければならないことは違うでしょう。子どもたち、若者、働き盛りの人、きっと私のような老齢者にない立場で苦労の多い生活をし努力されているのだろうなと思います。

 

 最近目に留まった言葉から。


 生成する世界は「論理」をしのぐ。だからこそ論理的に断定するより先に、絡み合った現象のはざまでまずは真摯に問いかける事。

論理はビィジョンを後から根拠づけるにすぎない。       朝日新聞「折々の言葉」、ウイリアム・ジェイムス

 

 

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入院あれこれ [日記]

 解散、総選挙になりましたね。これまでの政治についての評価と未来を決める選挙ですね。

最近あまり政治やニュースに関心が持てないでいました。目先のことだけでなく、何かもっともっとよく考えなければならない事がたくさんあるような気がしています。

しかし、あまりに今不幸に慣れ親しんでしまっている、不幸から抜ける努力、不幸から脱出する方法を真剣に考える時期、今回の国政選挙もその大事な一つの契機となると思っています。

 入院中、林真理子さんの「小説8050」を読んでいました。診察から突然そのままの入院になったので、何か読むものを持ってきてほしいと頼んだら、この本他数冊を持ってきてくれたのですが、一度読んでいました。

再度読んでみて、物語なので細部でリアルではないなと感じるところがありましたが、重要なところを抑えていてこの問題について随分考えさせられます。

 もっとよく考えなければと思うことって書きましたが、その一つが自分について考える事です。

 退院時に午前中仕事を終わせて娘が来てくれましたので、昼食を一緒にしました。病院食は薄味と老人向けの調理で、がっつりしたものを食べたいと焼き肉に。

 話しているうちに娘と喧嘩になり最後に泣いてしまいました。なぜそこでなくのよと娘を当惑困惑させてしましたが、あとで自分をはっきり理解すること、人と違う自分をはっきり知ることや理解すること、認めることであると思いました。そこから周囲や世界との関係が始まるのです。どう始まるのか、まだわかりませんが。

 

 


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昨日は? [日記]


 昨日は思い切って病院へ。薬が切れたこともあるのですが、「知らないと怖い閉塞性動脈硬化症」という池田宇一、宮下裕介両氏の本を読んで、どうも動脈硬化が進んでいる結果ではないかと思う症状が気になっていたからです。受付で心配になっている症状を話し、血管内科か糖尿病関係の先生に診察をお願いしたいと頼みました。

この病院はながく脂質異常があるのでかかっているのですが、足の血圧測定を初めて受けました。

 以前静脈瘤が出たときに、この病院では何もしてくれないから専門の先生を紹介すると言われたことにも驚きましたが、紹介された静脈瘤の専門の先生のところでは足の血圧測定は何度も受けていました。

 この医院は電車に乗らなければならない事や少し遠いので今回も悩んだ末に、今治療を受けている病院でしっかり話して診察をお願いしようと思ったわけです。

足指のただれの写真や全身のこむら返りなど看護婦さんや先生に一生懸命説明し、はじめて足の血圧測定をしていただけました。

閉塞性動脈硬化症は高カロリー、高脂肪の食事が影響するため欧米では発症頻度が高い病気だそうです。日本でも急速に増えていることが予測されているにもかかわらず、この病名で治療を受けている患者は全国で8万人程度、ほとんどが無治療のまま放置されている現状と池田先生の本に書かれていることが実情なのだということも実感しました。患者が頑張らないと医師は気づかず流してしまいます。

医療に限らず、政治でも、子育て、教育、仕事の場においても、人と人の関係においてもあらゆるところでそうなのだと思いました。

 足の血圧測定では年相応の動脈硬化があることがはっきりしました。この日歩いた距離は一万数千歩になっていました。




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残された時間のために [日記]

 値上げのラッシュ、、、ニュースを見てもため息が出るようなことばかり、体はどんどんポンコツになりつつあるようです。気分が落ち込むことには事欠きません。

 どうすればいいの?

と思案投げ首状態ですが、何の対策も立てないというわけにもいきません。

 そこで、課題を整理してみました。

 大きいところで三つくらいあるのですがどれも簡単ではない事ばかりです。

一度に進める事はできないので、少しずつ。

その一つ、健康に関しては健康メモをとることにしました。これはこれまでもやってきたのですが、これからは重点を絞って精密な計画と実行と検証をしてみたいと思います。

 脂質異常をいわれたのは30代後半でそれから長い付き合いになりました。

 40代後半では、背中をまっすぐ伸ばしていられない、階段の上がり降りもきついくらいに。長距離通勤、家事育児、仕事との両方に体はぼろぼろでした。

 そのころ、安保徹先生の「病気は自分で治す」という本に出合って目から鱗が落ちたみたいに。考え方の基本みたいなものを教えられたと思ったのですが、同時に随分自分の力以上の無理な生活をしていると思い、生活を変えることにしました。

 それから数十年たち、その時々に健康を維持する難しさがありましたが、この先何年生きるかわかりませんができるだけ命を粗末にしない、健康を保つことは大切と思っています。


「知らないと怖い閉塞性動脈硬化症」という小型の文庫本を読んでいましたら私の今の症状にも、これまでの経験を考える上でもぴったりの本でした。

 そして知らない事はとても怖いと思いました。

 動脈硬化は高齢者の病気ではない、誕生のその日から始まっていること、そして動脈硬化は心臓や頭以外に足、首、腹部、腎臓に起きていて、なかでも閉塞性動脈硬化症は重症になると乳がんや大腸がんより五年後の生存率が落ちるという位危険にもかかわらず認知度が低いこと。医者でも軽視されていることが多いことを知りました。

 高血糖、脂質異常、高血圧は油断をすると悪くなりやすいのですが、足の痺れピリピリ感、足底部に厚い皮を張ったような感じ、頻繁な足の硬直、全身のこむら返り、最近では足指の炎症など気になるのでお医者さんに相談することがあるのですが、あまり問題になったことがありません。

 勿論医者の助けが必要なのですが、やはり自分の体について責任を持つのは自分なのです。

 医者任せでお医者さんが直してくれると思ったり、思い込みや放置などやめて正しい知識を持たなければならないと思いました。 

 

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ことしの課題 [日記]

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 自分ひとりの中での自問自答でした。


   いつまでも


なぜ苦しかった?

もし私が彼の親でなかったらこんなに苦しみはしなかったでしょう

赤の他人なら無視することもできた

生へ続く道、死へ続く道

究極において人生はそのどちらかの選択なのだということを

自堕落な君

ときに死への道を選択していると思った

人は弱いから

死への道は自分を楽しませ、一時の安らぎをあたえ、束の間の自己肯定を与える

しかしやがて気がつく

その道は死へつながることを

そう気づいた時はもう体は蝕まれている

取り返しができないほどに蝕まれている時なのだということを

不都合な忠告など聞きたくはなかった

甘いささやきだけが聞きたかった

束の間の安らぎのために


 ずっと苦しんだあなたに

二人の人の言葉をおくりたいと思います。



苦しかったらやめればいい、
無理をしてはならない。
願いはしても無理はしない。
努力はしても天命に従う。
無理をしないというのは消極的な意味ではない。
無理をしないで全力をつくすということ。
無理をしないといけないのはレベルが低い証拠。
真剣に生きる人ほど無理はしない。
そして、そう出来たことに感謝する。
これが疲れないこつである。     松下幸之助
自分を試練にかけよう
人知れず、自分しか証人のいない試練に。
たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。
たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。
たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。
たとえは、全く見返りなど求めず人のために行動する。
そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は<本物の自尊心>を持つことができる。
このことは、<強力な自信>を与えてくれる。
それが自分への褒美となるのだ。 (ニーチェ『善悪の彼岸』)
(これら二つの言葉は北村和夫さんのfacebookからいただきました。)
「個々の人間の連綿とした集積があるだけと考えると個々人がどういう物語を考えるかで歴史がかわるのだろうと思います。

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健康と食事 ベイビーステップで [日記]

 新しい健康対策を二日前からはじめました。

 食事後猛烈に眠くなる、こむら返りが全身に起こる、足の先端、指や足底にひどいかゆみ、指と指の間に潰瘍ができる、足や手にピリピリ、むずむず感がいつもあるなど、こうした気になる症状のうちのあるものは少なくとも十年以上前からあり、最近ひどくなっていました。内科、整形、皮膚科とこれまで何度も医師の診断を受けてきましたが、検査では脂質異常があるだけで、芍薬甘草湯やコレステロールを下げる薬などが処方されてきました。

 しかしこの半年くらい全身のこむら返り、硬直がひどく頻繁になっていることと足先が赤くはれたり指と指の股がただれたり、猛烈なかゆみを伴うので(検査では水虫ではなかった)これはどうもおかしい、なにか重大なことが進行しているのではと本人は疑ってきたのですが、医者は検査結果をみて特に問題はありませんねというばかりです。そうですか、あまり気にしないで大丈夫なのですねということで終わるのでした。

 新聞やネット、雑誌などで情報を得て、年齢とともに血管やリンパなど血流障害、代謝障害が進んでいるのだろうと考え、できるだけ食事や運動に気を配ってもあまり決めてがありませんでした。

 糖質を減らす、良い油を取り悪い油を取らない、三食ではなく一日二食にする、こういう食事が提案される一方で、お米は食べても太らない、三食きちんと規則正しくとらないと逆に太るとか、牛肉豚肉などの動物質は太るという説もあれば、どんどん食べたほうがいいとか、まるで逆ともいえるような、何が正しいのか判断に迷う情報が飛び交っています。

 数か月の間に体重が5キロくらい増え、知り合いの人にも太ったねと言われるくらいリンゴ型に膨らんだのを期に決心して一日二食に切り替えました。一日のうち16時間食事と食事の間をあけ、その間は消化を休むのです。

 はじめて4か月くらいが過ぎました。5キロくらい減りました。でも最初に挙げたような気になる症状は消えません。

 二日前にはじめた新しい対策、ええっ、こんなにすぐに変化があるの?

 あんなにひどかったむずむず感も薄らぎ、ありがたいのはこむら返りがなくなったのです。毎晩耐えがたい痛みに襲われたこむら返りがでないのですから、信じがたい思いです。

重かった体も重さを感じません。まだ二日目です。まだ「嘘でしょう。何かのはずみ、偶然なのでは」と疑っています。

 「THE EAT」という本を読みながら始めた対策なのですが、まだ完成ではありません。それもベイビーステップで進めています。まずはじめたのがよい油をとること糖質をすくなくすることです。お断りしておきますが私はこの本の販売員ではありません。誰にでも当てはまることがどうか分かりませんし、私にもあっているかどうかはこの先どうなるかですが、細かい記録をして検証してみようと思っているところです。

 人の体は食べたものでできている。血液は一分で全身をめぐるそうですから、食を考える事は当然なのかもしれません。


 

 

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政治のみえる化を [日記]

 毎日一度はみている報道番組、まるで他にはニュースがないかのように、来る日も来る日も自民党の次期総裁選をめぐる党内の動き、一政党の総裁選びにまつわる派閥や勢力争い、それが連日最大のニュースになっています。権力構造の姿、日本の総裁選びが世界の中で占める位置、今の政治の現実の姿をまざまざと見せられている思いがします。

 今朝の朝刊に立憲が疑惑の真相解明を第一弾の争点に掲げたという報道がありました。大いに賛成です。

 政治を透明にして国民にどう政治が行われているかが見えるようにならなければ、それが政治の土台ではないかと思います。

 安倍菅政権下で進んだことはどういうことだったか、国民はしっかり政治の主権者としてみる必要があると思います。社会や政治にどんな意見を持つかは別に、政治が国民の目に透明でなければ国民として判断ができないことになります。権力の一極集中のなかで不透明化が進み、国民には説明なしの強権的手法がずっと取られてきました。それで政治は何とかなるという内心のおごりが権力者に生まれているように思われます。

 はじめ森加計問題の再調査もあるとして、ともかく政治の不透明化をなくすとしていた岸氏がその後態度を変えました。自民党では無理なのでしょう。

 大変な犠牲を払った第二次大戦、二度とあってはならない戦争ですが、なぜ戦争になったのか、なぜ戦争になるのか、やはり最大の原因は政治の貧困と国民が一方的思想統制のもとに事実をしらなかったことではないでしょうか。どういう選択でどういう結果を招来するか、多くの国民は判断する材料をあたえられていなかった、疑問や問題提起をする人は少数ながらあっても徹底的につぶされ、口封じされたのです。

 国家権力というものは強大で国民をどこへでも運ぶ力をもっています。それだけに権力の使い方、政治の在り方が国民の目に見えるようにし、判断ができる事が大切だと思います。そのことを真摯に実行できる政党、政治を望みたいですね。

 

 

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健康を考える。 [日記]

 曇ったり降ったり、肌寒い日が続いて、今日は久しぶりに晴れました。


 DSC_0352.JPG 千葉公園

今日は出かけようと、街中まで。本屋さんで目的の本を購入しました。

THE EAT という本。我が家は「超危険水域のメタボ」と「痩せすぎ」とその中間がいるのですが、自分のことでなくても超心配です。夜中に目が覚めて眠れなくなることもあります。しかし口出しはNG 私の心配をよそに当人たち分かっているのか、分かっていないのか、わかって努力しているので口出し無用なのか、私にはわかりません。全く口出し禁止なので仕方なく、私ができる範囲で食事を見直そうと、本はそのために購入しました。

 安保徹先生の本に数十年前に出会ってから、対症療法ではなく体全体の健康を考えるように注意してきましたが、年とともに老化に伴って健康を考えるのは簡単ではないと実感です。

 一日に二食に切り替えてから3,4か月過ぎました。体重は最高値から5キロくらい減りました。血圧もいまのところ基準値を推移しています。摂取カロリーを少なくしたことと食事をとる時間を8時間の中に収めていることが結果に表れているのでしょうか。でもこの食事法がいろいろの意味で体にとって万全なのかどうかはもっと観察が必要だと思っています。

 



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個であることと公共 [雑感]

 もう何十年か前のこと、数人で旅行先で食事をしていた時でした。私が「父性と母性」ということを考えていますと言ったとき、一人の人が「なんでいつまでも女性は母親から卒業しないんだろう」と疑問をいわれ、もう一人の女性がその意見にとても納得という感じで賛成しました。私は父とか母とかいう意味ではなく、切断と受容とかいう意味ですと補足したのですが、「それは難しい問題だ」ということで其時は終わりました。親としてあの頃からわたしには父性と母性ということはとても難しい悩ましい問題でした。

 父性というのは良しあしの判断のように物事を区切って選択し次に進む働き、母性はすべてを同じものとして受け入れる働き、簡単に言えばそのような意味だろうと思います。

 人誕生の昔から現在まで、人の命ということでは変わりなく、時代により環境や生活の仕方が変わってきたとはいえ、人の根本にあるのは生と死だけと思います。生は命があるということ。

 命がある間どう生きるか。生きているという「存在」していることとどう生きる(目的)の絶え間ない選択。その二つは受容と切断の働きといっていいように思いますが両方があって生きるということは成り立っています。

 

 自分の命と他人の命をどう考え調整するか。人間の歴史がいつも基本に抱えてきた問題だと思います。

 切断する、受容するという父性母性の働きは「個人の働き」の問題です。

そのことは家族間あるいは父と子、母親と子供などの間でも常に存在する問題です。

振り返ると私は自分中心で他者のそれについて認識することがあまり意識的ではなかったなと思います。分かりにくい表現なので、言い換えると子どもは全くの他人、別の人格を持つ個として彼や彼女自身の物事への取捨選択をしながら育ちます。親はあまり子供自身の成長を見ないで自分の物差しや価値判断、それは偏見や先入観のようなものなのですが、自分の主観で別人格である子供を判断していることが多いと思います。


 子供の個人としての独自の生という視線がしっかり認識され、自分も一人の人間としての自己選択をしてしっかり向き合うならもっと好ましかったと思います。それは父性と母性という働きの迷いだったと思います。

 父性愛(切断、区別)と母性愛(存在の受容)は他者とのかかわり、存在へのかかわり方なのだと今は考えているのですが、もう一つ特に最近考えるのは日本社会の特徴とよく言われる「母性社会」ということについてです。

 個人が「父性愛や母性愛を持って個として生きる」ということと、日本の特徴としていわれる「日本の母性社会」ということはどういう関係にあるでしょうか。

 皆さんはどう思われているでしょうか。

 「自分の取捨選択、自分の考えを持って社会の一員として生きる」ということと「自分個人の意見を持つよりも全体の意見に自分を合わせて生きる」、「一個人として社会に参加するか、集団や社会を優先して自分をそれに合わせるか」その両方を混在させながらもどちらかを「主にしている」ということはひとりひとりあるように思います。

どちらの考え方にも良さと欠点があります。前者は自己本位になるリスクがあるし、後者は自分がなく社会任せ、責任のない没個性のリスク、一緒に渡れば怖くないですが、集団が侵した間違いの結果の責任の取り方は簡単ではありませんし、降りかかった結果を自分は引き受けるとしても、それだけで済まない大きな影響を与えることもあります。前者の場合は常に自分の狭隘さから逃れがたいリスクを抱えています。その結果の責任ということも自分にとどまらないことがありますから、どちらにしても常に立ち返って考えてみることが必要になります。

 「集団、全体(公)を大切にする」「社会を作っている一人ひとりを大切にする」、二つの働きが社会の原則ととしてともに必要でしょう。公と個の原則は生命の尊重で、それは言葉を変えると父性と母性の二つの働きということではないでしょうか。

 世界が二度の大戦を経験してその後どう変わったのか。自由、自由競争、「私権」の拡大はもともと利己的である人間の弱肉競争の拡大をもたらしてきました。「私」の拡大と自由競争は物質文明の発展を支えてきた大きな要因であると同時に人間の欲望と公共との対立や矛盾も生んでいます。「私」は全体の一部ですが全体ではないから、利己は偏りだったり他者を無視したりしてしまう危険性を常に持つでしょう。

 自分の欲望のままに他者の存在を失うとどうなるでしょうか。

 モラルハザードといわれる状況は久しい前からいわれてきました。

 今はさらに社会全体の一部、政治や権力機構にまで進んでいる感じがします。それは広範な社会全体の人間破壊、社会の破壊をすすめることになるのではと心配です。

 その時立ち戻る原点はなにかと考えたいと思いました。

日本はもともと母性社会と言われてきたのに対し、アメリカは父性が強い国と言われます。「すべての物事を受け入れ一緒にする」ことと「善悪や好悪などの価値判断を優先する」国共にどちらにもいい面、悪い面があります。日本は必ずしも母性社会ではなく現在は父性が強い社会になりつつあると思います。切断の働きが強ければ、一方を殺すことになり、すべての事象を同じに平等にすれば良しあしが問われなくなります。

今日本の社会は強い父性原理が働く一方でそれと裏腹な自己放棄ともいえる母性原理が進んでいる、それがよいことでしょうか。父性は徹底した命の受容のうえにあるべきで父性も母性も異なる働きを視野におくことでより高い段階に進むのではないかと思います。

 でも受容と切断の価値判断はとても難しい、時に迷いながらしかし自分をつくらなければならないと感じます。







 

  



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どこまでも不確かなわたし  [雑感]

 

 つぶやき


  どこまでも不確かなわたし

  確かだということは今、私は生きているということだけ


  漠然とだが言葉にならなかった理想、どこかで理想というものを追いかけていたように思う

  これは嫌だ、NOという現実がなくなればいいなと思っていた

  暴力的支配(納得によらない支配)

  自分の利益のために相手の利益は無視して他者を利用する利己

  命の危機をともなうような貧困


  こんなことは嫌だから、こんなことが少なくなればいいと思ってきた

  それが社会と自分の進歩だと思ってきた


  それだけあれば十分だと思う

  あとはその人自身によるから

 

  私が生まれたころの社会はどういう社会だったか

  いつも命の存続が危機であるような貧困、暴力的支配、自分の本心を裏切り、仲間を裏切り、ときには個人的

  恨みもない他国の人を殺し、殺されたり、これが生きることなのかと嘆息するそんな時代だった


  世界はかわったのだろうか

  随分変わったように思う

  思い描いた理想に向かって進歩したのだろうか

  

  社会はどう変わったのだろうか

  世界の富の90パーセントがごく数パーセントの人の手にある

  一方で親を失い、子を失い、故郷をうしない、命をつなぐ食料も住まいもなく、孤独で安心もない人々

  なぜこのような激しい格差、命の違いが進むのだろうか


  絶望と怨嗟と哀しみと沈黙の渦巻く世界

  世界は変わったのだろうか

  進歩したのだろうか

  相変わらず変わっていないものがある


  私は絶望したくない

  これが人間の世界で現実で真理なのだなどとなぜあきらめなければならないのだろう

 

  私は信じているのだろうか、人間の進歩を

  ときに50パーセントになったり、0パーセントになったりする


  0パーセントになったときも絶望したくないと思っている


 

 

 

 

 



 

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たどり着いた地点は。 [日記]

 大型の低気圧が抜けた後の今日は朝から猛烈な暑さです。暑さに負けてなかなかやる気がでません。

庭もあれたまま、春先気まぐれに種をまいたり、苗を買ってきて植えたりして無事育った後は放りっぱなし。やっぱりそれだけのエネルギーをかけられず手入れがとどきません。植物だってこんな愛情不足の人のところに運ばれてきた不運をなげいているかもしれません。それでも健気に咲いている朝顔、気持ちを涼やかにしてくれます。


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 人新生とは人類の活動が地質に刻まれた時代という意味で、いつからが人新生なのか。24年に予定される国際地質科学連合の連合理事会で作業部会が進めてきた調査に支持が集まれば正式に決定されるそうです。

 人間の歴史発展の結果が地球の限界に近付いているのか?そういう予感はさまざまなところで身近にかんじさせられています。生きることはエネルギーの消費で、そのなかで最も激しい過激な消費は戦争ではないかと思います。

何が、こうした過激なエネルギーの消費を進めるのでしょうか、人間も地球環境も変えてしまうほどにです。

 もっと静かな落ち着いた暮らしがしたい。自分の手足で命を確認できる生活が必要です。

 留まることを知らない成長願望、欲望の充足、それが人間の調和を破る時、破壊につながるのでしょうか。

 

 格差の増大の中で、子どもの世界でもその影響が大きいことに心が痛いです。

 もう年を取って何もできなくなりました、何かできる事は?

つながり、学びの環境、育ちの環境を公的機関市民いったいで総合的な対策が取られなければ、自分の力だけで生きられない子どもが救われません。子供、親、社会がつながって問題の解決に動こうとしている民間の活動、とても必要な活動だと思うので、少しでも生活費を抑えてできる寄付をしたいと思ったのですが、トラブルが。ネット上で行われる寄付、使われ方が不明確だったりひどい時は偽サイトだったりすることもわかりました。見極めが難しい世の中です。直接顔を合わせる関係でないネット環境では確認がむずかしいのを感じます。

  寄付の申請をしてもその確認が来ないとか、退会の仕方がはっきりしないなど、広告は毎日行われていて随分広告費が使われているのではと思いますが、世界的な団体のこともあります。うっかりできないと怖くなりました。

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健康について [雑感]

 健康はなんといっても基本、鍵ですね。

 70歳前後くらいから太りはじめ、太ると減量しにくくなって、当時はダンスをしていたので一番の困りごとでした。

自分的には肥満が嫌だったので、何とか痩せないかといろいろ研究していたのでしたが、十年くらいの間に適正かなと思っていたころから比べるとゆうに10キロ増、最近二年ほどの間の体重増は特にうなぎのぼりで体重増に比例して健康度も連動して落ちてきました。体が重く動けない、眠い、こむら返りやしびれがひどくなる、健康検査の数値もいくつか悪いものが。年齢だけではないと真剣に対策を考え始めました。

 朝食をやめて、飲み物だけにして二か月くらいで少しずつ減量しました。今では三キロくらい減りました。

 食事を八時間くらいの間に終わり、消化に使う時間を少なくするという健康法は何かの機会に目にして自分で試してみるつもりで始めていたのですが、石黒成治医師の「本当の腸活」というネット配信記事を見て、腸の果たしている役割、心身の健康との関係、病気の予防と原因など日頃から疑問だったことがだんだん統合して理解できるようになりました。しかし、実際にこれらの問題と向き合っていくのはこれからのことです。

 私の家族は皆健康問題を抱えています。個人的には家族も一度健康問題をしっかり考えてみてほしいと思うのですが、皆それぞれ自分の考えがあって、私がちょっと話そうとしても受け付けないオーラがいっぱいです。少し検討してみようかとはなりません。私の話ではだめなのです。それはちょっと残念ですが私は自分の健康状態をよくする努力をするしかないと思っています。

 自分はかなり悲観的なので、あまり自分の本当の気持ちを言いたくない。誰だって何となく安心していたいのですから、根拠ない安心でも安心していることに積極的意味もあるのかもしれないなとも思います。

理由ない悲観ではなく、根拠ある悲観だと思うなら、問題を解決する努力をしなければならない、何のために人は生きるのかは人によってはそこにしか意味がない立場の人もいるのだと思います。







 

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こだわりを離れる [雑感]

 

 このところ変わったことがいくつかあって、その一つがネットの回線業者を変更したことです。昨年携帯をガラケーからスマホに替え、今また回線業者を変えたことで機械音痴の身であたふたしどうしです。

 夫が入院、いったん退院になりましたが現在ガン治療中です。

 でもいろいろのことがすべて大きな流れの中の一つ一つとして起こっていることのように思います。

 とても良いタイミングで石黒成治先生の「本物の腸活」というネット記事を見る事が出来ました。

 人はどうしても自分がこれまでに得た考えとか認識にかじりついているものです。常に今までの知識や習慣のようなものを疑ってゼロにして考えてみるということを疎かにしがちだと思います。自己愛のなせる業でしょうか。

 頑迷でそういう自分にかじりついていると自分の間違いや偏りに気づかないで、俺はこれでいいんだなんて決めてしまいがち、経験から得たものを見なおしてみることをやめて柔軟性を失ってしまいます。それではもっと良くなることを自ら放棄してしまうことになりかねない。石黒先生のお話で、自分が知らなかったこと、学んでこなかったことが少しわかったように思い、わたしにとってとても大きな出来事になりそうです。

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カオスの中を漂流する個人  [日記]

 

 ADHDという発達障害について、最近耳にすることが多いと思います。しかしこの障害まだはっきりした診断や治療法は定まっていないようです。また原因についてもいくつか説はあるもののまだはっきりしていないようです。心を病むということはどういうことだろうと、また現代の精神医療についての疑問ももってきました。

 混沌の世界と個人、個人とは何で個人はどう生きればいいのか、心のどこかで探し続けて自分にとって少し結論めいたところに来ていると思えるのは足元をしっかり、足元から始めようということです。 


 安藤忠雄さんの話 ーテレビ朝日。報道ステーション10月26日(月)~30(金)ー をネットで見て、自分の疑問へのヒントをもらっているようにも思いましたので、シェアさせていただきたいと思います。



  第2回に登場したのは、世界的建築家の安藤忠雄氏でした。


“暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」<img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/214.gif" width="15" height="15" alt="[コピーライト]" border="0" class="sonet-icon" /> tv asahi All rights reserved. “暴走族的精神”安藤忠雄が語る未来「世界が変わる時、自分には何ができるか」

大阪の下町で祖母に育てられ、家庭の経済事情から大学進学はせず、独学で建築家の道へ進む。


1976年に手がけた「住吉の長屋」が高く評価され、日本建築学会賞を受賞。その後も国内外問わずさまざまな建築を手掛け、イェール大学教授、コロンビア大学、ハーバード大学客員教授などを歴任する他、1995年には建築会のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞など華々しい経歴を持つ。


しかし近年は体が病気に冒され、2009年にはガンが発覚し、胆のうと胆管、十二指腸を摘出。2014年にもすい臓がんが発見され、膵臓と脾臓を全摘出。


そんな苦難も乗り越え来年で80歳となる安藤に、建築物に込めた意思や未来を担う人々への思いを聞いた。


※YouTube完全版動画はこちら



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これまで数々の名建築を世に送り出してきた世界的建築家、安藤忠雄。さまざまな逆境と戦い乗り越えてきた彼は、80歳を目前にしてどのような未来を語るのか。


話を聞いた場所は、大阪府大阪市の児童向け図書施設「こども本の森 中之島」。安藤が設計し寄付をして、今年7月にオープンしたことで話題となった。「新聞や本を読まない子どもが増えているので、活字文化の大切さを伝えたい」との信念に基づく活動であるという。


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子どもが楽しめる絵本から、大人が読んでも楽しめる小説。学術書に漫画まで、蔵書は幅広い。


「おもしろいですよ。ここに来たら1日はじゅうぶんにいれますね。ここにある本は、どこで読んでもいい。外へ持っていってもいいんです」(安藤)


◆「コロナで人が集まれない。これは人間にとっていちばん大変なこと」

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建築の世界においては、さまざまな思考の積み重ねの上に建物が出来上がるという。この図書館は、どのような考えの基(もと)に建てられたのか。


「(建築においては)考えていちばん良い答えをみつけないといけません。中之島は大阪のシンボルみたいなところ。そして、これからの大阪にとって大切なものはなにかというと、子どもなんです。我々がつくるのは宝箱みたいなもの。ただ箱と、本を用意しただけです。この施設にとっていちばんの宝はなんといっても利用する子どもたち。子どもたちに元気よくなってもらうためにはどうしたらいいか、ということをまず考えました。そうしたら形はおのずとできてくる。


好奇心は大事です。いま子どもたちに元気がないのは、親がコントロールしすぎるからです。塾に行きなさい、一流大学に行きなさい、大きな企業に入りなさいというけれど、子どもが自分の考え方ができあがってくる時期は7?8歳ですよ。みずから考えて行動できる大人になるにはこの大事な時期に本を読まないと。


自分の故郷の風景を心の中に刻むところをつくる。そして、あのとき見た本を読みながら、次の時代はどう生きたらいいかと考えられる子どもを育てることが出来れば、世界に通用すると思うんです」


さまざまな人という宝を輝かせるための箱として、あらゆる試行錯誤を重ねて建物をつくる。それが建築なのだと安藤はいう。


「建築というのは、歴史的にもエジプトの時代からギリシャとずっとありましたけれども、お互いに対話をする場所をつくる行為なんです。例えばギリシャのアゴラという広場は人間が集まって意見を交わす場所です。ローマにある広場も、みんなが集まって考える場所です。


いまはコロナで集まれないじゃないですか。これは人間にとって大変なことなんです。コロナも大変ですが、集まって心からの会話ができないのがいちばん大変なこと。それを乗り越えていくためには、気持ちの持ちようが大事です」


いまだからこそ、人が集い、考え、心を重ねることが大切――。安藤は力強くこう語る。


「心のありようってあるじゃないですか。近所に対する愛情、犬や猫や生きているものへの愛情、老人に対する愛情。そういうものを含めて、あらゆるものに対して愛情がないと乗り越えていけない。生きていくためのモチベーションは愛情だと思うんです」


コロナ禍により、インターネットを通じたコミュニケーションが世界中で加速する昨今。ネットを通じて簡単に人と“つながれる”といいがちな世の中だが…。


「スマートフォンというのは、愛情のない機械でしょう。私も使ってるけど全く愛情が感じられない。(情報が)ぱっぱぱっぱ出てくるけど、迷惑な機械ですよ(笑)。(情報をただ受け流すだけでなく、)ちゃんと体で感じることのできる子どもを育てないといけない。子どもにスマートフォン、コンピュータを与えすぎなんです。お互いにしっかりと対話しながら生きていく。そのなかで初めて愛情が出るんでしょう」


◆ “情熱”で壁を乗り越えてきた「人生はどうにかなると思っていました」

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1941年に大阪で生まれ、祖母に育てられた安藤。学歴やコネはなかったが、下町の“愛情”と“情熱”が彼を建築家の道へと向かわせた。


「中学2年生のとき、自分の家を2階建てにしたんですよ。近所の大工さんが来て、働く姿に感動しました。昼飯も食わずひたすら働く。なるほど、ひたすら働けばなんとかなるんだな、と思いました。全力で走ることが肝心なんだと、そのときに思った。その大工さんの仕事を見て、建築の設計も面白いと思ったので、全力投球で自分で勉強しようと思ったのですが、この国はそれが難しかったですね。


学歴がない、社会基盤がない、周り(に友達)もいない、知的体力も低い。中学校の成績が3、4番くらいだった。下から勘定して3、4番(笑)。専門学校も大学も出ていないから、建築家になるためにはまず2級建築士の試験を受けないといけない。昼飯も食わずに一心不乱に勉強しました。働きに行って、昼の休憩時間1時間勉強したら通りましたよ。365日、1日1時間あるわけですから。1回で通りました。


1級建築士はその3年後にあり、この時も昼飯は食わない。みんなから『変わった奴や』って言われたけれども、自分の信念を貫かないと生きていけないと思っていましたから、気にならなかった。昼飯は食わない。これも1回で通りました」


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安藤の建築には、圧倒的な意思がこもっている。


実質的なデビュー作となったのは「住吉の長屋」。中庭には屋根がなく、雨が降るとトイレへ行くにも傘を差す必要がある。しかし、中庭を通して差し込む太陽の光や風が“自然のある生活の豊かさ”を教えてくれる。この作品は世界を驚かせ、日本建築学会賞を受賞した。


「私は“暴走族”やと言っているわけですから、はみ出ているわけですけど、ルールは守る。ルールは守るけど、はみ出ている。精神がはみ出ているわけです。大阪生まれの大阪育ちで大阪を拠点に仕事をしていますが、大阪の人には嫌われている。『あいつははみ出ている。勝手なことばかり言ってる』と。だけど、実はルールは守っていて、責任感はある。いちばん大事なのは責任感なんです。


これをどうしてもやり遂げたいという想い、それを支えていく“知的体力”と“肉体的体力”の両方を鍛えて、維持していかないといかんという思いがあります。難しいことはいっぱいありましたよ。うまくいかない。でも、そう言いながもなんとか乗り越えていく。山を乗り越えたらまた山が来る。また乗り越えたらまた山が来るんですから。前に山が立ちはだかるというのは慣れていますから。人生はどうにかなると思っていました」




「好きでなかったら、なかなか前に進まないからね。いまは職業を自由に選べるじゃないですか。でも30年くらい前までは、あまり自由に選べなかったんですね。(成功するためには)一流大学に行くというルートが決まっていたから。昔はそのルートをなかなか乗り越えることができなかった。でもいまは乗り越えていけますから。その為には自分がやっている仕事を徹底的に勉強しないといかん」


◆これからは「自分で人生をプログラムしないといかん」

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さらに安藤は、未来を担う人たちに対しても“情熱”が必要だと語る。


「昔は一流大学・一流企業に行って、60歳くらいで定年になって…と言ってきたけど、いまは人生95から100歳まで生きるわけですよ。そしたら自分がどう生きるかということを、自分でプログラムしないといけません。自分で考えるのが下手なんですよ、日本人は。だから年功序列、終身雇用が非常にうまくいってたわけですが、いまは違いますから。


自分で人生をプログラムしないといけません。そしたらね、けっこう面白いことがいっぱいあります。たとえば私は学歴がない、社会的な基盤がないといいながら手を差し伸べてくれる人もいるし、仕事を頼んでくれる人もいる。私のことを面白いと思ってくれる人もいて、いろいろな人たちと出会いながら、自分なりにやってきましたから。みんなにチャンスがあるんですよ。


いまは全ての人にチャンスがある。経済力のない方にもチャンスがある。その人たちは、自分なりの人生のつくり方を考えなければいけない。そりゃあ頭がいりますよ」


“情熱”を持ち、人生を自分でプログラムすることで、壁を乗り越えられるのだ。


「人生、面白い。なにかが起こる。起こったら考えると。考えていくとその先には必ず楽しいことがあるんですから。例えば病気にもなるし、会社がうまくいかないこともあるし、いろいろうまくいかないことがいっぱいあるでしょうけど。先はいいことあるぞと思えば、なんとかやっていけると思っています」


◆世界中が変わっていくときに、自分はなにができるのか

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79歳の安藤が見据える未来とは――。


「ガガーリンが言ったように地球は青い。 “地球はひとつ”ということを考え続けて未来を見据えなければいけない。日本人はもっと科学、芸術、技術の分野をサポートして、世界に冠たる科学者、技術者、アーティストが多く存在する社会を目指して頑張らないと。それぞれが自分でものを考えることができるように誘導しながら、豊かな社会へと牽引していくリーダーたちを育てなければいけません。それを政府がサポートしなければならないのですが、(いまの政府は)そこをカットしているんですね。しっかりサポートしていかないと、次の時代はないと思いますよ」


「コロナは大変です。スペイン風邪など、もっと前から疫病はあるわけですが、この大変さをどう乗り越えていくのか。それは人間の知的体力の問題です。いくら日本だけがブロックしても、アメリカだけがブロックしてもダメなんです。


地球はぐるぐるみんなが回っているわけですから、どれだけ頑張って日本だけが感染を収束させても、終わらない。やっぱり地球はひとつ、地球は丸いんだという立体感覚をもって生きてほしいと思いますね。


ブラジル、アメリカ、ロシアや中国と、国が分断しているじゃないですか。みんな自国主義。どこに乗っているんですか? 地球船という同じ船に乗っているんですよ。お互いに話し合える部分と、自分のところが頑張れる部分を認め合えば、もう少し分断されないで済むだろうと思います。地球がダメになったら、みんななくなってしまうわけでしょう」


分断された壁の向こう側の相手に対しては、どのように語りかければよいのだろうか。


「これは言葉じゃないんです。分断されることはいっぱいある。私はフランスとイタリアに行って仕事をしています。そこでは自分の情熱と気持ちを心から表さないと、相手はわからない。言葉で通じない心をどう伝えるかというトレーニングをしないといけません。


それは、愛情という力しかない。このコロナはものすごい時間がかかると思いますよ。世界中が変わっていくだろうというそのときに、自分はなにができるのかということをそれぞれが考えなければいけないと思う」


<構成:森ユースケ>


 「目の前の山を乗り越えていくために必要なもの。それは“情熱”だ」という安藤氏の言葉、勇気をもらえると同時にそれしかないのだ思います。生きること、人間への愛と情熱を一人ひとりが大切にできる環境というか世界を目指したいですね。


 最近の通信機器の発達は目覚ましく天井知らず、個人もその影響から無関係ではないのですが、年配者にとっては例えばスマホ、使い方が難しくてさっぱり覚えられません。まるで魔法の小箱のようで恐ろしい。

たいへんな可能性があるけれど、使い方を知らないと大変なことにもなるから手も足もでないです。[ふらふら]


 世界と多様性ということ、為政者は本当に分かっていないといけないはず、でも自分に分かっていることだけが分かっていて、未知ということそれは無知と同じだと思うのですが、知らない世界、自分の目の届かないことについて謙虚で聞く耳、知ろうという気持ちがないと為政者として失格、無知について関心がないのだろうかと思います。























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最近の暮らし [日記]

  

 梅雨もどこかへ行き陽射しはすっかり夏、日々暑さがまし炎暑。

 二三日少し頭痛気味、体が重かった。パソコンの前に座っているか本を読んでいるかが多いからどうしても運動不足に。

 月曜日内科を受診するも、血液検査の結果が出て、コピーをもらっただけで、医者は「あまり問題なし」だった。

 しかし自覚症状としては体が弱っている、頭の老化も進んでいるのを実感する。医者からすれば年齢相応ということであちこち小さな不調があるのは仕方がないという判断なのだろうか。

 手足のむくみ、ピリピリ感、こわばりが一段とひどくなっている。こむら返りもシャクヤク甘草湯を飲んでも効かないことも。夜中目が覚めると足がまるで丸たんぼうのようでまったく動かない。やはりこれは尋常ではないと思ってかかりつけの病院にいったのですが。問題なし?

 帰宅して検査結果を見てやはり、自分が感じている不調はT-Bil,Ch-e,LDLコレステロール、CRE,UA共に基準値を上回って数値が悪くなっていることにも現れていると思った。

 食事の内容を変えるのは毎日のことだから簡単ではないのですが。

 昨日の朝からコーヒーに砂糖をやめて、しょうが紅茶に少量のはちみつに変えることにしました。

 一番心配なのが腎機能、肝臓。抗酸化作用のある食べ物や水溶性ビタミンをとれる食事を心がけようとおもっています。


 オリンピックでのスポーツ選手の人の限界に挑む美技の数々、若い力の活躍に感動です。が、今回の東京オリンピックくらい、オリンピックって何だろうと疑問を抱かせるオリンピックもないですね。

 時代と個人ってどうかかわるのでしょう。

 随分たいそうな大問題を考えていると思われそうですがどんな環境、どんな立場ででも生きているすべての個人に例外なく存在しふりかかる問題だと思います。自覚するしないは別だし、自覚の仕方も違うと思いますが。

 そういう時間の回り合わせなのだなと思います、身辺整理をしたくなって頭の中が忙しくメモ魔に。でもそうするといいこともあります。だんだん終わりにむかって絞られてくるというか。

 最近読んだ本から

 「昭和史」新版(岩波新書)が本棚にあってちょうど良いタイミングでした。自分が一番関心を持っている問題を考えるうえでとても良い本になるだろうと思っています。

 民主文学2021.8月号の特集戦争と文学、下田城玄「太宰治の戦争ー惜別などをめぐって」松木新「大岡昇平の戦争」北村隆志「忘れられた加害の文学・洲之内徹」碓田昇「宮本百合子と渡辺順三」の四編の評論とてもおもし

ろかったです。 


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心を病むということについて [自問自答 いきるについて]

 こころを病むということはついて、それはどういうことでしょうか。

 こころの不具合によってつらい思いをする。本来のその人らしさを失ってしまう。判断力が失われて人生にマイナスな結果が生じる。

「あなたの隣の精神疾患」の著者、春日武彦さんは心を病むということについてこう書かれています。

 こころを病んで本来の自分をなくしてしまう危険性はいたるところに転がっています。生きるという過程そのものと言えるくらい自分で明らかにすることすら難しいと思います。

 共依存ーーー異常ともいえる関係性

 安直な現実逃避

 知らぬが仏より馴染みの鬼

 こんな言葉はよく考えてみると自分の生き方そのものと思えるくらい身につまされてしまいます。

 政治家の無責任、政治の私物化、政治不信。

 異常犯罪、薬物依存、アルコール依存、セルフネグレクトなどの心の病

 こころだけでない身体の病

 健康でいることがとても難しい大変な時代、戦いなのだと思います。 

 苦しいことは完全無欠でない人間に当たり前なのだと思います。苦しいことから健康になりたいと願わない自分への不誠実には私はNGです。

 愚かで無知、非力な存在だとしても自分を大切にしない怠惰や不誠実に怒りを感じます。たとえその戦いが滑稽だったり無様でも戦っている人を信じます。

 自信があって、無知を知らない、謙虚さを知らないことも嫌いです。

 他人との比較や他人の評価を自分の価値と思っていると他人の評価がなくなったときどうなるのかと思います。

 自分に気づき、自分を大切に思って自分を生かしてほしい、足元から世界を見出してください。

 世界って「私」で「あなた」なのだと思います。

 

 生きることが虚しいと何度も言葉にしたあなたへ、私の手紙。 


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歴史ということ [家族・社会を考える。自問自答日記]

歴史とは何か。
様々な現象を伴う単なる時間の堆積、時間のうつりかわり。宇宙レベル、地球レベル、地球上または地球をめぐる時のながれ。
人間が現れたのは?、そしてその人類社会の歴史。
今生きている自分たち、自分たち人間の過去と現在と未来。
そういう歴史などということを少しも考えずに生きることも可能だしそういう人も多いと思う。しかし好むと好まざるとにかかわらす誰にとっても、すべての人間に関わるのが歴史である。
 ではその歴史とは何か。その歴史をどう認識したり解釈したりするかは個人個人の脳で、人間の認識以外にないから、厳然たる歴史の事実と個人が認識する歴史とは同じものではない。仮に百人の人がいれば百人皆その人なりの歴史認識があるということになるのでしょう。
 個人が歴史を知ったり、そこで得た認識を自分の生き方にどう生かすか。歴史を学ぶ意味を私は個人的には人間とは何だろうかということを歴史を通して知ることだと思っています。
 生まれてからの80年という時間を考えると私はいろいろあってもとても幸せな時代だったと思います。
でも今、その間にどんな歴史を作ってきたのだろうかと、ひどく不安になってきているのです。
 これは私の個人的な杞憂にすぎないかもしれません。
 そう感じる理由が私にはあるからなのですが、他人に押し付けるつもりはないし、あくまで私自身の自分の戦いだと思っています。
 こんな記事が目に入りました。
 日経平均株価が約30年ぶりに3万円の大台を回復した。菅義偉・首相は国会で株価3万円が実体経済と乖離していると指摘されるとこう反論した。「株高というのは、年金運用を通して国民に幅広く恩恵がある」──。
 それは真っ赤なウソだ。経済ジャーナリストの荻原博子氏が語る。
「株価が上昇すれば株主や会社は潤いますが、不況下の株高なので従業員の給料には反映されない。それどころか実質賃金は下がっている。現在の年金制度は現役世代の給料に連動しているので、給料が下がれば年金も減らされます」
 厚労省がこの2月に発表した昨年12月の実質賃金は1.9%のマイナスで10か月連続で低下した。
 今年から物価が下がらなくても実質賃金が下がれば年金が減額される新制度が実施される。本誌・週刊ポストが専門家の協力のもと試算したところによると、このまま実質賃金の低下が続けば来年4月分から年金支給額が毎年大幅に引き下げられ、2025年には「元サラリーマンと専業主婦」の世帯は夫婦の年金が年間14万円も少なくなる可能性がある(週刊ポスト2月19日号既報)。株高で年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)利益をあげてもそれは変わらない。
 物価上昇の懸念もある。米国ではすでに株式市場に引っ張られるように商品相場も上昇している。コロナによる需要激減で一時は“マイナス価格”をつけた原油価格も、ニューヨーク先物は約1年ぶりに60ドル台を回復。鉄鋼などの素材価格も上昇している。長くデフレが続く日本で、すぐに物価が全面的に上昇すると考える専門家は少ないが、すでに年初から砂糖や家庭用油など生活必需品の値上げが始まっており、インフレが現実のものとなれば、日経平均3万円の恩恵にあずかれなかった多くの国民にとっては悪夢だ。
 しかも、物価が上昇に転じると、年金生活者は「マクロ経済スライド」という仕組みによって年金の増額が抑制され、毎年給付水準がカットされていく。
 働く世代も難局が続く。コロナ禍で昨年の完全失業率は2.8%とリーマンショック以来の水準に悪化、休業者数は過去最多の256万人にのぼるが、緊急事態宣言が3月に解除されると雇用環境はもっと厳しくなる。
 政府は宣言が全国的に解除された翌々月から休業者に支払う「雇用調整助成金」の上限を1日1万5000円から1万3500円にカット。さらに現在は国が全額負担している中小企業への助成率を9割に引き下げる。
 この休業手当への“助成打ち切り”によって、社員を休業させていた企業の負担が増え、解雇に踏み切るケースが増えると予想されている。
 コロナ対策に財政資金を使い過ぎた政府が、これからは国民からカネの回収に回るのだ。荻原氏が語る。
「昔は会社は社長と従業員のものだったけれど、今は株主のものです。株高で儲かったら株主への配当に、損をしたら従業員が尻拭い。官製相場がそれを助長している」
 株に投資する余裕がない多くの国民にとっては踏んだり蹴ったりの株価3万円なのである。
※週刊ポスト2021年3月12日号
 なんだが気持ちは暗くなってしまいますが、どんな歴史認識、現実認識、未来認識をするかが問われていると思いました。

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簡単じゃなかった。 [家族・社会を考える。自問自答日記]

 圧倒的な時代の変化の予感は60年安保闘争から次の70年安保改定時の全共闘運動後の時代にありました。 6O年の政治運動、労働運動のころ、私は学校を卒業し、就職をしました。そこで政治問題、平和とか労働問題とか考えるようになったと思いますが、70年安保になるとセクトの争いがし烈になり、やがて尻つぼりとなっていきました。職場にいて急速に何かが変わっていくのが分かりました。核家族化、マイホームへ、猛烈社員、世界第二位といわれる経済成長、やがてバブルの崩壊へと続くのですが、そのころから日本はアメリカでの流行が十年遅れでやってくると言われていました。

 昭和40年ころまでの日本では物をどこかに置き忘れてもなくなるということがなかったくらい治安がよく犯罪も少なかった。治安のよい安心できる国として外国旅行者に驚かれていたのが今はどうでしょうか。家の中にいても安心ができないくらい、防犯意識を持たなければならないくらい油断のできない国になっています。

急激な時代の変化と今という時代、この変化をどう理解すればよいのでしょうか。変化を進めてきたものは何で、どんな変化がどんな影響を人間に与えているのか、ひとりで理解しようとしても困難が増すばかりです。

 80代になって、終わりに向かって準備をしなければと思い始めました。しかしその準備をどこから手を付けたらよいかは途方に暮れるばかりです。ともかく手近かからと本の処分を考えて取り掛かっていたのですが、残す本と処分する本とのえり分けひとつがこんなに優柔不断なのかとあきれるくらい迷います。

「考える営みの再生」中身を確認しながら、鉛筆の傍線が引かれているところを消しているともう一度読み直さなくちゃと残すことに。「老後はなぜ悲劇なのか」これは? 「なぜ世界の半分が飢えるのか」これも本当は読みたいけれど欲ばってみてもどうぜ読めないでしょ。でもごみの日に出すのは嫌だなと思い、買取の箱へ。

「ひきこもりカルテ」は平成3年の発行ですこし前ですが、至る所に傍線、まるで自分のノート並みです。これは再読の必要ありです。

ぱっと捨てられない戦後世代なのだなと思います。一番物がなかった時代にごみのように捨てたものさえ再利用した時代です。傍線を消しゴムで消しながら思い切りの悪い奴と思うのですが、読む人があったらあげてもいい、もったいないと一時保管の箱へ。取りあえず段ボール二箱買取に出すものと資源ごみに出すものと一箱かたづきました。


 いつもどこか悲しい気分が残っています。

鬱かなと思うこともありますが、悲しいという感情は仏教では三毒の一つ、怒りだそうです。

「怒りのダンス」という本どうしようかと思った時でした。


 怒りは、私たちの傷ついた心や空洞、また何かが間違ってことを伝えるメッセージである。したがって怒りを「変化」へのシグナルととらえ、従来のパターンから抜け出して、調和のとれた新しい人間関係を作るきっかけとする。怒りをガイドとして活用することーーーより明確な自己への道 (怒りのダンスから)


 ああ、そうか、感情は殺さないでしっかりその意味を知ること。二イルはすべては気づくということの問題であるといいました。自分の感情、本心に気づくこと、その感情を大切にすること、深くは受け止めていなかったと思いました。

 自分の無意識や意識に目を向けないで粗末にしていると自分から人間関係を調和のとれた新しいものにかえようという努力ははじまりません。

 自分の感情や願いをないかのようにしているといつしか哀しみに変わっていくのだなと思いますが、でも大切で難しいのは次のステップなのだと思います。

あきらめたわけではなく、悲観からの脱出です。本の整理が機械的に済まないのは私にとってまだ、課題が未解決なまま残っているからなのだと思いました。



 


 




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まぼろしのカフェ [家族・社会を考える。自問自答日記]

 小さな私設文庫付きカヘェ、心のどこかにそんな夢がありました。そのためにまだ仕事についていた時、ぼつぼつ目についた本を買っていました。自分に関心がある分野の本、仕事をやめて、その希望がかなり強くなっていた時、夫に相談してみると呆れた顔。そうだよね、やっぱり無理だよね、、、。

いくつかの理由でその希望はあきらめましたが、そのころからの願いは今もどこかに形を変えて残っているみたいです。今はインターネット時代、家にいても人とやり取りができ、つながることができる時代。昔は縁側でお茶を飲みながら、世間話をしたり、困りごとを相談したり、そんな風景は当たりまえでした。

 命があって、暮らしがあって、そこから始まる人と人の暮らし、近代化は一面で個を孤立化してきたのでないかと感じます。


 AERA 2021.07.05号の記事からの抜粋、考えさせられることが多い記事ですね。

  不登校の子に「何をしているんだ」「甘やかしている」日本の家庭に巣くう懲罰的自己責任論

  ここで指摘されている二つのことについて感じたことです。その一つは「自己責任」が持つ意味が今確実に変容しているという指摘。近代化は人類社会に何をもたらし、何がそれをおしすすめたのでしょうか。近代化の光と影を今一度考えたいと思います。



  ドイツのヤシャ・モンク「自己責任の時代」訳者が指摘している自己責任の変容 記事を一部シェアしています。

「夫としての責任や、会社員としての責任などを選び取ることで、人は自尊心と社会生活を深い部分で支えられる。従来の前向きな意味での責任論です」

 懲罰的な「自己責任」論は、1990年から2000年代の欧米社会で台頭したと説明する。

「各国とも少子高齢化が進んで財政が厳しい中、国民を暮らしやすくするための社会制度の変更にはお金がかかる。そこで一人一人の能力を高めて、暮らしやすさを目指す福祉政策が普及しました。英国の当時のトニー・ブレア政権なら、職業訓練や求人紹介などのサービスを拡充する一方、仕事をえり好みする人たちは、やがてサービスが停止されていきました。たとえば、子どもを抱えてフルタイムでは働けないなどの個人事情は、『自己責任』の名の下で見向きもされませんでした」

 日本社会の非正規労働者や母子家庭への冷ややかなまなざしと似ている。

 




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コミュニケイションについて [家族・社会を考える。自問自答日記]

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 雑誌は結構たまってしまい、月刊誌などは読めないことが多いです。段ボール二個分くらいあるのでどうしようかと迷いながら、たまたま読んでみた民主文学の作品、その中の一つ。「ちさき樹の言葉」作櫂悦子。

福島第一原発事故の被災者を描いた作品ですが、被災された人の生活に与えた傷の深さ、複雑さが一人ひとりの登場人物の行き届いたリアルな描写によって、原発事故の許されなさをあらためて突き付けられる思いがしました。

 原発事故の時三歳だった華、華を取り巻く家族、母親、父親、それぞれの祖父母、逃げようのないリアルな現実とその現実のなかで生きようとしている姿、華も両親の気持ちもさらに祖父母たちの気持ちも切ないですね。でも切なさに敗けていない、真実を受け止めて生きる姿に心打たれました。東電も原発政策の担当者も、電気利用者のわたしたちも読んで原発の廃炉を真剣に考えたい作品と思いました。

 コミュニケイションということについても考えさせられました。

 人は誰でも孤独という位、他人を分かったり、知るということは難しいことです。

 家族でも、まるで自分の心が相手には届かない、相手の心も本当には届いていない、だから距離の取り方がわからない、機能不全の家族、機能不全の社会が出来上がるのかもしれません。

 信じられないような事件があり、心を病む人があり、ぎりぎりの生活と不安や怒りや失望が渦巻くのも、本当のコミュニケイションを成立させることがいかに困難かを感じさせます。

 「大人のひきこもり」見えない息子と暮らした母親たち(臼井身伸著)を読みましたが、極限まで発展を続けている文明社会が人間にもたらしているものはなんなのだろうと考えさせられました。

 文学が人の心にリアルに、真摯に向かうなら、人をつなぐものの一つになりうるのではないかと思いました。

 

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