素人の生兵法 [日記]
なぜブログを始めたのだろうかと考えると、はじめはいろんな人がやっているからという気持ちもあって、パソコンを始めたと同時くらいにブログを始めたのでした。でも一番の動機は疑問に思うことを書いて、ほかの人はどう思うのか知りたかったというのが理由でした。
はじめは一人でも、二人でも読んでくれる人がいればいいんだからと友達が背中を押してくれました。
やっぱり、これでは認知症?と自分でもおかしくなってしまう位連日のへまの連続にあきれ返っています。
昼前の買い物をして帰ってくる途中で、シニア体操のメンバーの人達とぱったり、「どうしたの、この間も休んでいたから」と聞かれて、「すっかり忘れていたの」
ああ、今日だったのね。二回も忘れていたのです。
こんなことは序ノ口、、本当にヤバイと思っているところです。
急性腰痛症で三日入院して一か月たちました。あたらしい食事の健康対策もしているから大丈夫と安心して薬をキチンと飲まないでいたから? 二、三日まえあたりから腰と背面に違和感と痛み、夜になると寝返りが難しいくらいに。整形に行かないとまずいかなと迷ったり。コレステロールを下げる薬と血圧を下げる薬を一週間くらい飲まないでいたのです。病気は自分で治す、薬はなるべく頼らないようにしたい、こんな自己流の考え、素人の生兵法なのでしょう。早速キチンと処方通り飲むことにしました。
お医者さんに処方されると何種類の薬でもきちんと飲む人もいますね。
元気になるような素晴らしいとか楽しいとかいうブログではなくて重くてあまりぱっとしない内容、十年以上続けてしまいました。そろそろ終わりにしようかなと考えています。
課題や解決したい疑問がなくなったというのではないのですが、自分の生き方の整理みたいなことは進んだように思います。
今という時代、明日をどう考えたらよいのでしょう。大変な時なのかもしれません。
問題がなかった時代なんてなかったのですし、いつだってそうだろうと思います。未来が希望なのか絶望なのか。問題がはっきりすれば解決の道が見えてくるし希望は膨らむのではないでしょうか。
世間で言われるような自己責任という問題はないと思うのですが、身から出たさびであろうがなかろうが、生きるのは自分なので自分の命は自分が引き受ける以外にないことは事実だと思います。あとはどう頑張るかです。でも、恵まれない条件、厳しい環境の中にある人ほど大変です。人間の究極の目標は問題を持つ人(不幸な人)が生まれないような社会を作ることにあるという二イルの言葉を思いだします。
恥ずかしいようなブログを読んでくださいました皆様長い間ありがとうございました。
face book カヘェ ウィズ ユウ 、今は店主ひとりで、其れも開店していない状態です。
これから何か書きたくなったらそこでなにかつぶやいているかもしれません。
「悲しい」が積み重なった末 [日記]
人間の原点にある家族がいろいろの困難を抱えているように思えます。機能不全家族、コミュニケイションの力などについて考えさせられています。そのことは個人的のように見えながら個人の問題に視点を限ってみてしまうと間違ってしまうと思います。
親になって、親だから悩んだり、考えることがいろいろありました。
そしてなぜコミュニケイションが難しいのだろうと思ったり、また家族とはなんだろうかと思ったり。
いまになって思うことがあります。
言葉がつたわるには物は言いよう、言われようなのだなと思いました。本当の意味で相手が不在だと伝わらない、一方通行なのです。心のありようによって左右されることに気づいていないわけではなくても、本当に心底から気づくということはまた別のことのように思えます。本当に心底から気づくなんてことはそれほど簡単なことではないのだと思います。
通じ合わないのには理由があるのだと思います。その理由がはっきりすればよいのだと思います。
理由がわかったうえで、誰もが誰にとっても必要な存在ではないし、誰かが必要なわけでもないと分かれば楽になります。
人は多様だから、多様であることを認め、多様なものが共存できる緩やかな空間、公共、世界があれば平和や共存が可能なのではないでしょうか。
そのような誰もが生きることができる共存の世界をつくるにはまずは自分について、自分の本ねとか本心とか、現実の姿とかよくわかって、その自分を認めたり、受け入れたりすることが第一歩、そのうえで他人との関係を考える。次に何らかの選択です。
家族の中にそれぞれの個性を持つ個人が存在しうるなら、家族の意味があると思います。
分断と格差と支配、他者が不在の世界、コミュニケイションがゆき詰まってしまっている世界の指導者の役割重いと思います。
今日の朝日「折々の言葉」に柳美里さんの「この世から剥離しかけた人を、最後にこの世に繋ぎとめるのは、言葉だと信じている」という言葉がのっていました。
悲観だけでいいのだろうか。 [日記]
今日は街なかまで出かけました。
本屋さんによろうとしたのですが、書名を忘れてしまったので書店は止めました。
今回の選挙をどう思われましたか。つまらない結果だという意見結構多く聞かれますね。私もこれからの未来選択の方向、そうはっきりしていないのだなと思いました。体はずいぶん蝕まれ重体なのに気づかないでいる人みたいに、憂うべき事態なのになにが問題か、明確にならないだけでなく、その解決の方向が見つからない。いたずらにパニックや焦りだけになっては社会の不安だけが強くなってしまいますから、現実をしっかりとらえる事と、解決の方向を考える事が合わせてなければならない。現実をしっかりとらえる議論も解決の方向の議論も十分明確ではなかった、もやもや感が残る選挙だったように思います。
若い人達にとってはこれから、今日明日です。
今まで哲学は知識人や学者など一部の人のものだった。しかし今こそ哲学は現実の生活と格闘すべきと「ラディカルに哲学する」の著者たちは言います。本当に世界はそういう時に来ているのではないでしょうか。
最近こんな本読んで考えさせられました。
浪費するアメリカ人 浪費のメカニズムを解明し新たな生き方を提言する。 岩波現代文庫
「大人の引きこもり」 見えない息子と暮らした母親たち 臼井美伸 育鵬社
登校拒否を考える 石田一宏 青木書店
子どもの精神力 石田一宏 青木書店
読みたいと思っている本 「土になる」 坂口恭平 文芸春秋
「世界一やさしい依存症入門」 河出書房新社
ローカリズム提言 内田樹 デコ
今日も新聞記事をきりぬきながら思うこと [日記]
私は朝日新聞朝刊だけを読んでいます。時間的にも金銭的にもそれで精いっぱいなので。新聞以外からも情報はとるようにはしていますが。
気になった記事を切り抜くと、あとは穴だらけで新聞の形態をとれなくなってしまうこともあります。
気になった記事、
遠かった?若者と政治 耕論
老いたメカニズム なぜ存続 ひもとく 資本主義の解剖 読書欄
世界一やさしい依存症入門 苦しむ十代へ共感のメッセージ 松本俊彦
「土になる」 坂口恭平
近代の主客図式を超えて 古典百名山 大沢昌幸が読む
学校に行けない 下
など、読みたいと思う本が何冊も、、、お金もかかるしなあ。
FACEBOOKの使い方がいまいちわからなくて、カヘェを開店したのですが、店主ひとりです。
私の疑問、誰かから意見を聞きたいことなどをつぶやいたり、あるいは誰かが、困っていることや疑問に思うことなどを話せる場所でもいいと思っているのですが、運営の仕方がまだわからないし決まっていません。
初めに私が困っていること、疑問に思っていることを投稿しようと思っていますので、ぶらり訪ねてくださるとありがたいです。でも投稿がいつになるか、、、。
気になった新聞記事から [日記]
新聞をさぁーっと見て、気になった記事は後でゆっくり読もうと、数日たって切り抜きをするのですが、その切り抜きが今度はどんどんたまってしまいます。どんどんたまる一方で読んだり整理したりがこれまたはかどりません。
そんなことやめればいいでしょうと言われそうですがやめることはしたくないのです。早く整理したい、頑張れー。
気になった新聞記事
追いつめられる働く女性 女性の自殺15パーセント増加 (朝日、2021.11.3)
学校にいけない コロナ休校の爪痕 (朝日、2021.11.4)
文部科学省昨年度調査 不登校小中学校生19万6千人
「新しい資本主義」成長戦略焼き直しにクギ
他、これらの記事に表れている数字、戦後から今日までの日本社会はどんなふうに変化してきただろうかとずっと考えさせられてきたので、課題の多さ、複雑さとともにその中での不安の増大を感じずにいられません。
カヘェ ウイズ ユウ 近くfacebookで始めようと思っています。
昔の縁側での会話のような気軽さで話せる場所があったらいいなとずっと思っているのですが。何しろ行動力のない人なので思うだけ。
課題の大きさにだれもが不安感を募らせていますが、一番大切なことは社会や生活、生きることへの安心感ではないでしょうか。
その安心感はどのようにして作れるのでしょう。孤独、孤立化と貧困を第一になくさないといけないのではないかと思います。これは命に直結する課題だから。
繋がる、一緒に考えて智慧を出して助けあう。そういう試みがあちこちで増えたらいいなと思います。
facebookの使い方を勉強中です。