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老人日記 7 [日記]

孤独について
 昔親しい友人に「みんなの話を聞いているとあなたって人に理解されにくい人なんだなって思う」と言われたことがあった。その時私はそうなんだろうなと思った。私は確かに孤独な人間だと思う。本音で自分の考えを話すことが出来る人は数えるくらいしかない。親兄弟姉妹、果ては夫、子供に至るまで彼らが私を理解しているかというとどうだろうか。
理解? 理解とは誤解のことですかと昔有名な世界的ピアニストが語っていた。その時はびっくりしたことを思い出す。
私は彼らを夫や子供たちだって本当に理解しているだろうか。私にとって一番大切で愛してもいる彼らについてだって私は理解できていない。愛や関心と本当に理解できることは同じじゃないんだなと思う。
 何事からも、世間のしがらみからも切り離され、ひとり自由になったときほどありがたい時間はないと思う。誰も私など見もしないし、知りもしない、そもそも存在しない。そんな時間はありがたい時間だ。私は瞳をいっぱいに開いて広く深く見ようと思う。偏見と傲慢は恐ろしいから。偏見から傲慢からなるべく自分を遠ざけたいと思う。
 国の指導者が第一になすべきことは戦争をしないこと、戦争から国民を守ることではないだろうか。争い、紛争の種は人の営みのあるところに常に起こりうる。国の指導者の責任だけで戦争がおこるわけではないだろう。もっと大きな全体的なことがかかわってくる。そして戦争をする理由は国民の一人ひとり、民衆のなかにもある。その争い、対立を戦争にしないことが、紛争になる種を取り除くことが第一の仕事なのではないだろうか。
 今戦争下にある指導者たち、戦争から国民をまもるためにさらに戦争を拡大しようとさえしているのはなぜなのだろうか。
不正義(悪)をつぶさない限り悪は残ると相手が降参し敗北を認めるまで最後まで戦う。それは武力による総力戦であることに私はどうしても賛成することができない。命がそういうものと思えない。ニイルは命を愛する人と生命否定の死せる人との闘いと言った。この両者の違いはどこにあるのだろう。

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2024-05-11 [日記]


   断絶が至る所に進むのはなぜ?


  話が届かないのはなぜ?

  聞く耳を持たないのはなぜ?

  大事なことを話さない、話せないのはなぜ?


  

  私の家族もそうだったのね。

  本気で話そうとしなかった。


  何度も何度も伝えられないことに苛立ち

  伝わらないことに絶望し

  厚い壁に跳ね返されてきたんだよ。

 

  長い歴史。

  家族でもね。

  真実がいつか見えなくなった。


  言葉を持たないのは悲しい。





  

  

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2024-05-02 [日記]

 日記帳にいつか名前を付けようと思っっています。

今日はたまってしまった新聞に目を通して切り抜きをしようとはじめました。

積みあがった新聞、随分たまったなあ。一月近くあります。古紙回収にこのまま出してしまおうかと怠け心がうずく。

勿体ない精神が辛うじて優勢になって今日の新聞から目をとおす。

東京新聞こちら特報部。精神医療史向き合い70年という精神科医岡田靖男さんへのインタビュー記事が目にはいった。

読まないで古紙回収なんてとんでもない。

 心の中で右往左往している感情、無意識な、あるいは半無意識な思いをはっきり知るためにいつもそれを表現できる言葉をさがしている。その言葉に出合う。切り抜きをしたくなるのはそんなとき。

 岡田靖男という精神科医を初めて知った。精神科医療の生き字引と言われる人のようだ。

  記事から

 「歴史とは過去のことではなく、現状を照らし出す光。それによって現状の立体構造が見えてくる。歴史から学べるものは現状の深い根だ」「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態」とするが、岡田さんは全否定する。「完全に良好な人なんているのか。健康とは、悪いところを抱えてそれでも生きていくことだ」

と説く。

 東大教授呉秀三(1865-1932年)の「我が国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかにこの国に生まれたる不幸を重ねるというべし」の言葉にこんな言葉を吐ける人が東大にいたのは衝撃だったとも語っています。

 こんな医者がいたのか。健康とは悪いところを抱えてそれでも生きていくことだという言葉に、日々無力を感じながらそれでもよたよたと生きている身には何と励ましと生きることへの肯定を与えられることかと思いました。

 この日も何件もの切り抜きをしました。




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